海が好きだ。
晴れた日の海風は、この上なく幸せな気分にしてくれる。
そんな風が思い出させる幼少の記憶………
◆
夏になると海に連れて行ってもらった。
毎年父が乗せてくれる手漕ぎのボートがとても楽しみだった。
ある時、私達子どもの相手をして父は一人で沖まで泳いでいった。
母は砂浜でパラソルを立てて座っていた。
ごった返した海水浴場。
母は気づいていない。
8歳の私は父が友人から借りてきたゴムボートを一人海まで引っ張っていき、乗り込んだ。
体育もドクターストップがかかっていた病弱な頃。自分にはそんなことはどうでもよく、ついにボートに乗るチャンスが来た!とまちに待った瞬間だった。
毎年ボートを漕ぐ父を見ていたから、オールの動かし方には自信があった。
今思えば無謀だ(笑)
砂浜で遊ぶ弟にも気づかれないよう、一人でボートで海に出た。
思った通り父と同じように漕ぐことができた。方向転換も出来た。
あのワクワク感は今も忘れられない。
ただ、初めて漕ぎ出したそこは海。
波もあるし、沖まで出た時は、これ以上マズイと思ってさすがに引き返した。
私にしてみれば、あっという間の出来事。
楽しい冒険の一つだった。
ところが……
砂浜あたりは騒然となっていた。
母は、弟が波にさらわれたと勘違いし半狂乱。
弟は私を捜して砂浜沿いにずっと歩いていたらしい。
父は沖から泳いで帰ってきたものの何も知らない。
無事に砂浜につき、ボートをもとに戻して歩いていった私。
母は、小さな弟が溺れて見えなくなったと思い込み、私のことは………頭になかったようだ。
どうせ父と何処かにいったのだと(笑)
何処行ってたんだ!と弟だけが叱られた(笑)
◆
病弱で無口な私は、当時、自分の考えなどを家族にも話したことはなく、『ただの真面目な大人しい子』いつもそう言われていた。
人と話さないからこそ、私は自分がいたって普通だと思っていたし、いつだってコミュニティで馴染めない雰囲気が生まれる原因が何故なのか、さっぱりわからなかった。
でも母は直感で、どんなに病弱でも、体育も止められていても、私は放っておいて大丈夫とわかっていたのだな(笑)
想像どおり、冒険好きな私は小学生時点で『無人島で独り生き抜けるような強さ』を欲した。
10代で死ぬかもしれないと医師に宣告されていても、お構いなしに目標はそれだった。
都会に生まれ都会で暮らしてきたから、冒険なんて殆ど出来やしなかった。
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中学時代に行きたいと思ったフィジーと、アフリカには40歳をこえて行くことができた。
もちろんツアーなどの観光ではなく、現地の人に近づいてそこに融け込むことが目的だ。
アマゾンにはまだ行ってない。
そのうち行かなくては。
これも中学時代に考えていたことだから。
結局この冒険心は、いつのまにか思考の世界にシフトしていったのかもしれない。
直感は、脳が瞬時にただきだすその人の正解であって、願望とは異なるものだと思っていたが、最近は、もしかしたらその直感こそが潜在的な真の願望なのかもしれないと思うようになった。
一般的な願望は、脳の仕組みに騙された顕在的な偽の願望であったり、他者の意見をコピーしただけのものであったりして、自分で思考していない可能性も高いなと……。
なんにしろ、ゼロベースで自分が求めるもの、喜ぶもの、愛するもの、などに正直に、無駄なく余生を楽しみたいと思う。
今日も皆さんありがとう
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