随筆 127

感知する誰かからのエネルギーの質。

第六感による目の前の人の

「このひと、なんだか怪しいよな・・・・・」

っていうあれ。

何度考え直しても、耳障りの良い言葉を聴いても

「なんか悪意を感じるんだけれども」

っていうあれ。

まず間違わないものだ。

もちろんそのエネルギーは一定ではない。

時に浮かれたエネルギーが発せられる場合もあるだろう。

しかしながら、歯列矯正のように針金を外せば元に戻るのだ。

考え直さなければならないとき、たとえば

「やっぱり○○だと思う」

「考え直したらこうだった」

はその人間の嘘だ。

いちいち考え直さなくても『創りあげない』人は一定している。本当だからだ。

相手の歯の浮くような綺麗事が全くもって意味をなさないのはそういうことだ。

虚構を創作することで精いっぱいの、自己しか見えない生き物は、それが誰に代わってもニンゲンが常に同じ行動パターンであることには気づかない。

まるで何かに動かされているマリオネットのように同じことをする。

多くの生き物の想いを真摯に受けとめるメリットは、自分の中にそれらのパターンがデータ構築されることだ。

誰かまたは何かの愛を当たりまえに搾取し、適当に話を聞き流す生き物にはそれらは到底理解できない。

自己正当化のための長い長いお話を創作するも、シナリオの質が低すぎて本物のシナリオライターに瞬時に見抜かれてしまう。

一朝一夕には成らないし、もはや間に合わない時代になった。

 

悪魔(私から見て)の行動パターンは面白いほどに一致している。

雑多な生き物が渦巻く世界で何もかも受容してきた人々も、そろそろシャットアウトし自己の世界構築にエネルギーを割くことが賢明かもしれないと思われる。

何度確認しなおしても、パターンはさほど変わらない。

ニンゲンのやった悪行は面白いほどに人間に災いをもたらしている。

やはり蒔いた種が自分に還るというのはゆるぎない自然の摂理のようだ。

ただ、そのニンゲンの中には自分も含まれていて、たとえ自分が直接的に行動していなくても世界にいる以上何らかの荷担をしているわけで、その分だけ自分に還ってくるのも仕方なし。

最近、同じ言動行動パターンをする生き物たち同士で、はっきりと分化しているように感じている。

多分、虚構が発現しまくっていることで、世界が澱み第六感がフル稼働しているのだろう。

その種(たね)である小さなエネルギーでさえ、自分と異なるモノは受け取らないほうが良い。

言葉に騙されてはいけない。

その人の辿ってきた過去にすべて表れている。

仮面はいつも透けている。

ただ、傍若無人に視える人のなかにも、光の小さな球を見つけることがある。

そういう人にはこちらも真っすぐに光の玉を投げ込めば、化学反応が起き輝きだすものだ。

時に、共に過ごした時間よりも、その瞬間の同調する波長の方が上回ることがある。

虚構は近しい人さえ騙し、自分を偽り、関与する人を不幸にするものだ。

できれば世界は明るい方が良い。

 

闇は夜だけで充分なのである。

 

 

 

 

 

 

 

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