随筆 160

形態模写さながら、形だけ模倣して誤魔化したつもりになる人は中身がないという証。

他者の積み上げた実績を大いに馬鹿にしている傲慢な類。

しかし、昨今の日本の形態模写は『煙に巻く』面白さがある。形態で自己の意識を表さなくてもわかる人にはわかる。伝わる人には伝わる。

 

ホーキンス博士の言葉を借りるなら、パワーは必ずフォースに勝つそうだ。

彼らが今後、その形態の下にあるパワーをどう発揮するのかとても楽しみになってきた。

なんとなくわかるだろう。

そのような言葉がなくても、先に述べた形態模写の中身のない動きと、そうでない人間の動きとでは伝わってくる意識が異なる。

真逆なのだ。

先祖代々の選択による結果=遺伝からなる自己が生まれ持ったものだとしたら、もはや変えようがない。無駄な抵抗。

同類は同類で生きて、動物のように群れをなるたけ出ないようにすればよい。

本来『区分』はない。

いつの間にか自然区分が人工的な無理矢理区分にとって代わり、その違和感と言ったら(笑)

形態模写が利己的な狭い視点で『善さげ』な行動をするとき、それは博士の言うフォースであり、フロムの愛とは縁遠く、リズ・ブルボーの著す病にまっしぐらなエネルギー体となって、自己を守ってくれている腸内細菌や細胞まで自滅させていくであろうと思われる。しかし同類は磁石のようにくっついていく。それを相手にしてどうするのだ(笑)

僅かながらでもパワーを持っているニンゲン達は、自分から一切のフォースを棄てるが賢明。

ただ独りでそこに徹すれば良いように思う。

結果、気づけば真の仲間が傍らにいるだろうし、誰とも合わなければ独りで良いだろう。

細胞だって日々変化している。どう変化するかで道は分かれるのだ。

皆死ぬ。

その過程で大切なのは、自分の命の使い方に己が満足したかどうかだけの話。

出会う人とは必ず出会う。

意識は海をも越えていくだろう。

一切の他人のファンタジーを脇において、個のエネルギーを最大限有効活用していくこと。

その先に出会うニンゲンがいるなら、きっとずっと質のよいファンタジーのキャストとして共に生きて死に逝くことができるだろう。

 

わかる人にだけわかればよい。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

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