随筆 83

私が持つ違和感を、周囲の人が持つことはあまりなさそうだ。

前提条件なしで話せるのは、夫と子どもたちくらいで、それも私が常にブレずに話してきたからこそ、やっと理解してくれるというもの。もちろん価値観など一致はしない。

全部を伝えたところで、殆どの人の耳には残らない。自分に必要なことだけを、都合よく「聴く」のがニンゲンだから。

まったくの素で私の価値観を話せば人々は混乱する。だから、頭の中で常に前提条件を用意している。

システムを正しいと思いこんでいる人々は、私のような疑問を持たない。洗脳された世界で盲信して生きていくことは、とてつもなく………面白くない。

そもそも死ぬことが怖い、という一般的な恐怖が私にはないので、システムに合わせて生きるということは、誰かに命を強制されているかのようで、祖先に申し訳ない。殺してきた生物に申し訳ない。

幼少期、テレビで観た番組から、ニンゲンが狩猟採集をしていた時代に思いを馳せた。ルーツという黒人奴隷のドラマも観た。

サラリーマンが給与をもらって家族を形成していく様と、かつて奴隷がご主人様から家と食物を与えられて農園で働いていた様との違いが今もわからない。形と名称を変えただけなのだろう。

そんなことを常に頭に置いていると、洗脳された人々とは話もできなくなるのである。

しかし、これらも地球が決めている。水の如く流れに逆らわないとするなら、ニーズに応えていくことが当面の在り方ではあるとは思っている。

そして実際に流されて行ってみると、その先はやっぱりまたあの世界が浮上してくるのだ。

場にも物にも人にも執着しない。

どこまで行っても結局はそこしかない。

準備のために遠回りするのか。

結局、迂回することが近道なのか。

もうしばらく、流れに乗ってみよう。

ミルキーが死んだ。

サファイアが死んだ。

私の中で、他生命が身体に吸収され、今日もたくさんの細胞が死んだ。そして産まれた。

たくさんの菌類と共生して造られている自分を、いったいどこまでが自分でどこからが自分じゃないと定義するのか。

すべてが単なる循環だとするなら、サファイアもミルキーも私の一部なのかもしれない。

ならばすべてを取り込んでみたい。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

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