どんなに信じていても、人は暫くするとなぜか自信がなくなるようだ。
信じ続けることはある意味、才能なのかもしれない。
自分のことさえ信じられず、他者の意見で一喜一憂して、人生を誰かに任せてしまう人だっている。
他者に任せるなら全面的に任せてしまうのも一つの方法なのだろうけど、一部自我が強く出て、都合よく「自分らしさ」などを主張してしまうのも、また人間味ともいえるのかもしれない。
しかし、自分を信じることが出来ない人を、怖くて他者は信頼できない。
まずは自分の人生は自分で責任をとることしかできないという、大前提を思い出すべきだ。他者に任せて不幸になるのも自分の責任。幸せになるのも自分の責任。選んだのは自分。失敗しても自分。
どうせ、その責任からは逃れることはできないのだから、自分の人生くらい自分で創りたい。誰かの考えたストーリーどおり生きるなんて、ちっとも面白くない。
私たちは自由だ。
自由じゃないと思い込むのも自由だけど・・・・
真実の追求をテーマに小学生の頃から生きてきたけど、
真実は虚無 リアルはファンタジー
というところに今のところ落ち着いている。
意味付けしたがるのが人間だけれど、実際のところ何も意味はない。
だけど、せっかく明日を創造するなら、わざわざネガティブなお話を創るのではなく、幸せなお話を創り続けたい。苦労もそのなかのスパイスみたいなもので、それがあるから、大きなクライマックスに感動出来たりするのだ。
何を信じなくてもいいけれど、自分だけは信じていたい。
たんたんとお話を創造しながらノンフィクションにしていきたい。
微塵もその気配がなかったのに、あれよあれよと創ってあるお話がノンフィクションになっていく。
生き物は皆、決めたとおりに生きている。
明日も自分はこのままだと決めているから、そのままである。
この紙切れには価値があると決めているから、価値を持つ。
銀行にはもう預けた金などないのに、印字の桁に安心する。詐欺事件はお話創りが下手だから、最後まで人々を信じさせることができず詐欺となる。
そうでない組織はお話創りがうまいので、信じる人が多くて詐欺にならない。
結果的にそこに預けた金がないのはどちらも同じだ。
だって働いている人の報酬はどこから?試しに全員が預金を引き出してみればいい。無いから(笑)
スキルなんて要らない。
決めておくだけなのかもしれない。
ある「点」を決めて信じていれば、勝手にそうなってゆくものなのかもしれない。
残念ながら、
富とは裸になっても持てるもの
と考えるニンゲンと出会ったことがない。
あの紙切れに価値があると思いこんで、それに苦しむ大人ばかりだ。
そんなものより信頼し合えるコミュニティを創る方が大切だったろう。
それぞれの得意分野で才能を発揮し、生きるための仕事を役割分担すれば、自由に生きていける。
ただし、怠惰なものは根底に人を支配するとか動物を支配するなどの、生き物に優劣をつける賢明でない思考を持っているので、群れを乱し子孫が繁栄しないので仲間にはなれない。
怠惰なものはリスク。
動物は自分で獲物を獲得し、メンテナンスをする。
怠惰なニンゲンは、他者に獲物を獲得させ、搾取する。それに憧れるものは同類と生きれば良い。誰も、働かずに大変だろうな(笑)
今日も皆さんに幸あれ
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