子供の頃、人前で泣いたのはたった一度だけです。

病弱で休みがちな小学生の頃色鉛筆を折られたり、登校したら給食のパンが机の中で腐っていたり、家までからかいにくる男子達がいたり……

数年そんなことが続き、ある日クラスのホームルームで歌を歌う日があり、「今日の歌は何にしますか?」と訊ねた先生に、大多数が私を中傷する歌を笑いながら歌ったことがありました。

私は冷静に誰が歌っていないかということと、先生の態度を見つめていました。

40数名の中で歌わなかったのはたったの4人。先生はわかっていながら知らん顔をして座っていました。

男子だけが私をからかってきたのだと思っていたのに女子まで同じような気持ちだったのだと言う哀しみと、何より知らん顔している担任の先生に絶望して、初めて泣きました。

人前で泣いたことがなかったので泣き始めると止まらず、先生が驚いて、急に手のひらを返したように私の肩を抱いてなだめにきたのをハッキリ記憶しています。

その「綺麗事」は耳に入らず、顔は「善人仮面」に見えました。8歳でした。

 

学生生活で泣いたのはその一度きりでした。次に泣いたのはいつだったでしょうか……

一度目の結婚ではなかったと思います。出産のときも息子の入院の時も泣きませんでした。

二度目の夫との生活のなかで、半年間殆ど布団に寝ているだけという、重度の鬱になったことがありました。

朝から晩まで泣き続けていました。

救急で即入院と言われても、薬剤では治らないと思っていたので

「薬はすべてお断りしますが入院させてもらえますか?」

と答えると

「それなら意味がないから入院はできません」

と言われました。ただ、休ませてもらいたかったのですが、病院は休むところではないのだなと理解しました。

それでも娘に迷惑をかけたくなくて、泣きながらインターネットで鬱の自然治癒を助けるハーブを探したり、調べたりしていました。

涙の中にはストレス物質が含まれているから泣けばスッキリするのだと書かれていました。

半年もの間泣き続ける程に、それまで私は妥協し我慢して生きていたのだと気づきました。そして、なるべく妥協しない生き方に変えようと決めました。

それがMahiro Shuとしてインターネットで発信し始めた頃と一致します。

 

その後は、泣きたいときは泣くようにしています。

自分にとってのマイナス感情をなるべく溜めないようにしている今は、妥協を最小限に抑え、誰かが自分の納得できないことをするときも、きちんと伝えます。

相手も命の時間を使っているからこそ、自分が好かれるとか嫌われるなど関係なく、なるべく早く伝えて、無駄なエネルギーを使わせないようにしています。それを相手がどうとるかは自由ですが、きちんと対峙したいからこそ、どうでも良いこと以外は自分を貫くようにしています。

 

不思議なことに、ある映画を観ると必ず涙が出るのです。自分に在る感情は哀しみだということしかわかりません。

でもなぜ泣いているのか、その映画の何に自分と共通するものがあるのか、そして何が哀しいのかも言語化できなくて、何度も観るのですが未だにわかりません。

遠い昔、独りで生き抜く力をつけるために、心の中のたくさんの悲しみをメタルスライムのような小さな小さな場所に圧縮して閉じ込めたような気がするのですが、それがもう何だったのか思い出せなくて、その映画を観るたびに、まるで記憶喪失のように、思い出せそうで思い出せないジレンマに陥るのです。

とめどなく涙が流れるのに、何が哀しいのか自分でもわからないことってあるんですね。

 

心が動くとき、それは他者のことであっても、きっと自分の持てる何かと一致しているときなのでしょう。

そんなときは、自分の人生とは別のスクリーンから受け取るメッセージを大切にします。

 

泣きたいときは泣きましょう。

 

今日も皆さんありがとう。

 

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