能ある鷹は爪を隠していない

よく、能ある鷹は爪を隠すと言いますが、あれには違和感を覚えます。

なぜなら、あの「能」の意味の概念が、一般的な人と私とでは少し違っているからかもしれません。

例えば、自ら

〇〇ができるの!

委員長やりたい!

会長やりたい!

部長になりたい!

社長になりたい!

などと言う人のそれを「能」だと定義している人々もいます。

また、思いがけずある場面で普段は見えなかった才能が表面化したとき、第三者が、

「あの人にあんな才能があったなんて、能ある鷹は爪を隠すってよく言うものね。」

となりますよね。

ところが、実際は、能ある鷹の爪は隠されているわけではありません。

本人が言わなくても最初から普通に見えているのです。

見えているからこそ、その人に任せればその能力を発揮してくれるだろうと期待できるのです。

その爪から考えられる能力は一つの場合もありますし、多岐に亘る場合もあります。

ですがまったくその爪が見えていない人もいます。

それは能ある鷹の爪を一度も見たことのない人々か、もしくは自分のことしか見ていない人々には見えないものなのでしょう。

もし自分がその爪を一本でも持っていれば、相手にも爪があることは見てわかります。

すべての爪を備えている人は、瞬時に相手が何本爪を持っているかもわかるのです。

 

そこで

能ある鷹は爪を隠す

という言葉を、違う視点から考えて見てください。

きっと殆どの人は他者の爪に気づいているはずです。

その爪を互いに活かしきれば、社会で解決できることはたくさんあるでしょう。

羽の色や、巣の形ではなく見るべきものはその爪なのでしょう。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

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