日本は国民が総鬱ともいわれますし、世界的に長寿であるとデータが出ていても、ロボットのように胃に穴をあけてペットフードさながら栄養素の入った液体を時間ごとに流し込まれて一応心臓が動いているというだけの高齢者も少なくありません。
老化現象を「病気」と呼んでみたり、完璧な状態を「健康」と呼んでみたりする人がいますが、そもそもその基準になる細胞や核は生まれた時から皆同じではないでしょう。
サルから進化したのか、突如原子が融合してできたのかわかりませんが、古の時に初めてできた人間なるものを「完璧」とするなら、ここまで変異してきた私たちは全員病気ですし障碍者です。
人々が「おかしい」という基準はなんなのでしょう。「正常」の基準をどこにしているのでしょうか?
私もある教師に「障害者」と言われたことがあります。確かに22歳も下の男性と結婚しましたし、SEXした男性が3人なので、結婚も3度しています。それを障害というなら、では10人の男性とSEXした初婚の女性は正常なんでしょうか?書類の数で障害なのか?相手が年上なら正常なのか?いったい何を基準にしたら障碍者と言われるのか。頓珍漢すぎて話を合わせるのに苦労しました(笑)
日本という「国境の線の外」の人々の価値観が多種多様なことなど知らないのだろうなと想像できました。それまで知る必要のない方だったから知らないわけで、きっと幸せな人生を送られてきたのだろうと思いました。だからそっとしておく方が彼のためだと判断して、言われっぱなしで終わらせました。(ちなみに名誉のためにお伝えしておきますが、子ども達が関与した学校の先生などではありません)
LGBTであろうが発達障害であろうが、鬱であろうが、それがその人そのものの現在の姿です。誰かが都合よく「呼び名」を決めているだけです。
もちろん、そのような人々を心底助けたいがために誰かが一括りに呼び名をつけたのかもしれないし、自己を優位に見せたい人が、優劣を決めたいだけの区分けなのかもしれません。病気と呼んでお金儲けのツールとして使われることもあるでしょう。
確かに動物にもみられるように群れの中でも孤立するものはいるでしょう。雀だって群れの中で自分をつついてくるうっとうしい個体からは皆離れています。
それも自然の摂理から考えてみると、嫌われるということは生命力の弱さかもしれません。精神が強く健康にみえても生き抜けない時は生命力が弱かったということですし、心が弱く見えても他者を巻き込んで子孫もたくさん育ったとなると、結果的に生命力が強かったということになるでしょう。
私たちの基準とする「病名」や「障害」や「職業」などの軸はどこにあるのでしょうか。
日本人の多くが鬱だとするなら、島国の中で食べているものや環境が大いに影響したのかもしれないし、そもそも祖先からの遺伝の結果かもしれません。でもそれが現時点の日本人の「正常」な姿なのだとも言えます。
元来の正常とは何なのか?そこを明確にせずになんとなくの基準で話すから全員「異常者」になってしまうのではないかと感じます。
昨今の事件をみても、もう何世代もにわたって細胞が変異してきた現代の私たちがどんなに頑張っても、本来ホモ属にあった「正常な」細胞を得ることはできないかもしれないのではないかと思います。
種として子孫を遺したいはずなのに、子どもを虐待したり、明日も食べるものがあるとわかっているのに無駄な争いを起こしてみたりするこの国の人々を思うと、既にそのような種類の動物に変化してきているのかもしれません。
過去の基準はもはや通用しないのでしょう。
だからこそ、各々が最善の生き方を選択することが大切ですね。
せっかくこの世に命をうけたのだから、誰かが創ったよくわからぬ「基準」ではなく、自分の人生は自分で決めて生きて死ぬようにしたいものです。
全ての人に幸あれと願います。
今日も皆さんありがとう。
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