人間の行動はパターン化されていて、時代によってまるで異なったもののように視えることでも、実際は同じ動きだったりする。
それも、所詮生物の一種であることや、全体の中の一部であることに帰結するのかもしれない。
光も闇もあって一日を創る。
鶏のように四六時中照明で照らされていたら、10年生きる命が僅か40日で苦しみながら死ぬという。
それを嬉し気に食べるニンゲンという動物は、どのような生物よりも残酷で醜く白痴で、地球が産んだ癌細胞だと思われる。
ニンゲンが醜いから他生物が美しい。
またニンゲンの中にも何かを殺す類と助ける類がいて、バランスがとれているのかもしれない。
個人的な好き嫌いは別として。
何処かで害獣として人間に焼かれたりする動物が、別のどこかでペットとして安全に暮らしていたりもする。
どちらが幸福かはわからないけど。
嘘をついて生涯を閉じるような人間もいれば、正直な人生で終える人もいる。
思い込みで人を攻撃する浅薄な知能の人間もいれば、俯瞰的な視点をもつ人間もいる。
嘘をついている人も行動には嘘をつけない。
嫉んでいる相手の投稿にいいねは押さないし、誰かのものを盗むときは隠す。
物でも、思想でも、言葉でも、そして不倫と言われる誰かの妻や夫とSEXするときも。
だから言葉より行動が本当なのである。
「綺麗事は心に悪意があると自覚しているものが綺麗に話す嘘」
「善人仮面は透けている」
と言い続けていると、この要素を持つニンゲンは私の前でたいてい顔が歪む。
なぜなら嘘つきは嘘つきだと自覚しているからであり、罪悪感を持ち続けているからだ。
せっかく生まれてきた命なのに、わざわざ罪悪感を全身に流すような生き方をするのは意味不明。
罪悪感を持ち続けている人はきちんと自分の中で『善悪』の基準があり、それなのになぜか自分の思う『善』ではなく『悪』をチョイスし続けるのだ。
それで本人が幸福ならいいのだが。
摩訶不思議な動物。
人間以外にそんな変てこりんな動物はいるのだろうか。
「副作用がある」
とたくさん前置きされるとする。
それを選択しなければ何もなかった毎日だったのに、例えば目が視えなくなるとする。
ある日全身が浮腫むとする。
癌化したとする。
「副作用だから仕方ない」
???????????
「はじめから何もしなけりゃよくない?」
とは思えないのだ。
思い込みって恐ろしい。
ニンゲンの創ったお話の一つに洗脳されてしまうと、洗脳された民はそうでない人を攻撃し始めるから手に負えない。
『生物は死ぬ』ということを受け容れられず、脳の思考回路が働かなくなるのだろうか。
自然の摂理に反した考えは、意識ごと身体という集合体を蝕んで逝くようにも思える。
けれども地球は困らない。
サピエンスが綺麗に絶滅しても、また何かが生まれる。
心配はいらない。
自分も含め、面白いほどに行動パターンが共通している。
自己正当化できる要素を探すのは、毎日殺して喰らう他生物の命に対しての懺悔か。
愛のない者は自分に愛が無いから誰かの愛を欲しがる。
バカだと自分で思っているものは、少しでも賢く見せるために虚栄に生き、それでごまかせると思い込んでいる。
恐怖に苛まれたものは、支配と依存の世界に生きる。
自分しか視えない眼球を持つものが世界を視ることは決してない。
遺伝はゲノム編集されなければ変わらない。されてもかわらないかもしれない(笑)
ニンゲンは齧歯類にはなれない(笑)
栄華を極めたものは衰退する。
適当に馬鹿でいる方が死ぬまで賢くなれるので衰退しない。
この世界は何もかもがファンタジー。
でも生きていることは素晴らしい。
ニンゲンだけに巣くう『思い込み』、じっくり考えてみてほしい。
正直者はバカを視ないという証がちらほら自分の周りで証明されてきた。
ちなみにこの正直者というのは『生まれてからずっと』という意味だ。
そういうのって個人の性質だから。
今まで他者を騙しつづけた人は、その分の痛みを自分で受けてから正直に転じるしかない。
そうしたら良いことがあるかも。
自然の摂理って偉大だ。
うまくできてるけど、なぜだかわからない。
真実の追求はまだまだ自分の中で続きそうだ。
今日も皆さんありがとう。
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