とどのつまり好きに生きればよいわけで

誰かになにか思われるとか、そんなことばかり考えて、毎日人の目ばかり気にしている人は自意識過剰である。

誰も誰かの人生なんて見ていないし、人はそんなに暇じゃない。

 

自分が逐一他人の人生をチェックしていないのに、どうして自分だけが見られていると勘違いしてしまうのか。

 

それによって、たくさんの命を殺して生きてきた自分の人生を、やりたいことも出来ずに狭い狭い範囲の誰かに合わせて生きるなんて、狂気の沙汰ではないか。

 

人は群れる動物であるから、孤立するような殺人鬼と化せと言ってるわけではなく、人として、最低限のモラルを守れば、好きに生きても、先進国ではさほど問題ない。

 

この最低限のモラルの境界を判断できるか否かは重要だ。

 

やりたいこともできず、言いたいことも言えず「誰かが僕を見てる、私を見てる」と思い込んで、ひとりでに雁字搦めの人生を送るのか、自分の人生なのだから、誰かの決めた価値観に振り回されずに生きるのか。

 

人々の苦悩に満ちた顔を見ていると、誰も強制していないのに「〜ねばならない」と必死に自分に言い聞かせ、我が子ではなく、他人の家庭を見て、他人の子を見て、それに負けじと競争させ、我が子を疲弊させてしまっている。

 

人は必ず死ぬ。

 

明日何が起こるかわからない。自然災害、事故、戦争、病気……

 

死ぬときに後悔のない毎日を。

 

人間の創造したシステムだけを、正しいと思いこむなど、税金で義務教育を受けさせてくれた大人たちに申し訳ない。

 

私達は奴隷になるために生まれてきたわけではない。

 

これだけ勉強して、これだけ数がいるのだから、高い知能の人々が集結して、資本による支配ではなく、地球全体と共生して、短期的にではなく、長期的に確実に子孫を遺す方法を考えられるのではないか。

 

過去の産物を否定すれば、とりもなおさず、自分を否定することになり、それが苦しすぎて、即座に「失くす」ことも「やめる」ことも出来ないかもしれないが、もし自分が間違っていたと思うことなら、やめない理由が見つからない。

 

時代は変わる。

 

せっかく生きているのなら、淘汰される側ではなく、進化して生き残る側に動いた方が面白い。

 

そんなことを考えながら、戸籍というアカウントがいったい誰のために何のために必要なのか。何を管理したいのか。何を支配したいのか。誰が支配したいのか。

 

自由

 

平等

 

友愛

 

そんな世界を創造できるのが、ホモ・サピエンスであってほしい。

 

 

今日も皆さんありがとう

 

 

 

 

 

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