ある人は言いました。
死の床につくとき、あなたが後悔するのは、負ってきたリスクではありません。
あなたの心を満たす、最大の後悔と悲しみは、避けてきたすべてのリスク、つかまなかったすべての機会、立ち向かわなかったすべての恐怖でしょう。
私は、幼少期から、死ぬ日のことを考えて生きています。
ある場所だけで通用する価値観を正しいと思い込んで、それに流されて生きていくことも、それはそれでよいのでしょう。
でも、月曜日に疲れた顔をして出勤する人が多いのはなぜでしょうか。
なぜ、人を羨んだり妬んだりするのでしょうか。
それは自分が納得できるような人生を、きちんと生きていないからではないかと思うのです。
人生の目的地を決めている人は、他者の顔色をうかがうことなくそこに向かって淡々と歩いていきます。
継続などという言葉もさほど考えることなく、何かを始めて気づけば10年、20年、30年と経過しているということも少なくありません。
継続することは簡単ではないと言う人がいますが、誰かに言われたからといって、自分で納得していないことを何十年も継続したりすることは、確かに誰にとっても困難だろうと思います。
道の途上で何かを捨てていくことも、目的地がしっかり決まっているからこそ、必要か否かを選択できるのではないかと思います。
継続することよりも、先ずは自分の目的地はどこなのかを自分で把握することが大切です。
誰かに誰かの人生を決める権利はありません。
流されて生きることが楽だと思うなら流されていけばよいし、そういう人はそれに納得しているので、他人の意見にもブレないし他者を羨んだりはしません。
セミナーなどでは継続するという言葉に翻弄されがちですが、何を継続したいのか、なんのために継続することが必要なのかをわからない人に、そのスキルを説いても無意味なのです。
どんな人も同じです。
毎日何かを食べたり、音楽を聴いたり、よく眠ったり、多かれ少なかれ人と群れるように、言われなくても何十年と継続できていることはあるはずです。
それは、その行為が生きるために必要だからであって、継続していないことは、本来その人にとって実は必要ないことなのかもしれません。
ただそれで幸福ならいいのですが、他者を羨み妬んでいる気持ちがある人は、ネガティブな恐怖心などから行動しない言い訳を考えているに過ぎないかもしれません。
そんな一歩を踏み出せない人には、思考回路を少し変化させるために簡単な方法があります。
今までにしたことのない、それもさほどリスクを伴わないことをまず手始めにやってみることをお勧めします。
例えば
・パートナーに毎朝愛していると伝える
・親や子どもに、具体的に感謝の気持ちを伝える
・誰かのよいところを毎日一つ見つけてみる
・軽い運動を毎日やってみる
・朝、いつもより30分早く起きる
・お世話になった人に手紙を書く
・店員さんに心からありがとうと伝える
・身体に良いものにお金をかけて、細胞から変えてみる
・やめられなかった悪習慣を一つだけやめる
などなど。
21日間続ければ習慣化するという説がありますが、私の周りでは一ヶ月やってもその後継続した人は殆どいません。
つまりその根拠は定かではないので、先ずは一ヶ月、誰かに宣言してやってみることで、思考回路を変化させてみましょう。
一ヶ月が、過ぎたら三ヶ月、そして半年、一年と……
以前、禁煙すると私に宣言した22歳下の男子がいました。あわせてダイエットもやると彼は言いました。
毎月私に写真を送ってきて、禁煙とダイエットは一年続きました。食事のアドバイスくらいはしましたが、彼は他にも努力しつづけました。
身体によいものを食べ、ジムに通い、20キロ以上体重を落とし、タバコもやめて健康を手に入れ、見違えるようなルックスになりました。
今も痩せたまま筋肉質な身体を維持しているようです。
こうして誰かに宣言して報告を続けることで、継続につなげることは賢いやり方の一つです。
できれば何かを継続出来ている人に宣言することです。言い訳がしづらくなりますからね(笑)
たまたま手に取った本で分かりやすいものがありました。
3週間続ければ一生が変わるとか……
ご参考までに
今日も皆さんありがとう
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