物事はシンプルだと常に私は発言してきました。
幼稚園に入る前からずっとそういう考え方なので、親に押し付けられた意見でもなく、指導要領の教科書のコピペでもありませんが、強いて言うなら、「はじめ人間ギャートルズ」のおかげかもしれません。
この世に生を受けて、まだ人間だけの摩訶不思議な価値観を正解だと洗脳される前にあのアニメに出会ったことで、地球が与えてくれたものが潰されずに済んだのだと思います。
「なんだ、ニンゲンこれでよかったやん。なんで大人はこんなに遠回りなことをやっているの?」
と思いました。いつも。
人々は常に何かと闘い、誰かをコントロールすることに必死に見えます。
自分より下に見える人を捜し、当たり散らし、傲慢にも自分の道具としたりします。
会社でも家庭でも同じ光景が見てとれます。
支配欲や虚栄心で「大きく見せたい」のか、印字の桁を増やすことや、学歴、肩書をつけること、自分の会社の規模を拡大することなどに命の時間を費やす人が大勢います。
だけど、利益率は実際、独りで経営する八百屋も大企業も変わらないかもしれません。
大きくなったメリットは、その利益率を好きなように与えたい人間に与えられることかもしれません。
つまり実際に作業をする人々からは搾取しないと成り立ちません。
本当に社会のためかそうでないかなどは、そういった経営者が見せかけのボランティアではなく何に資産を使うのかで判断でき、もしかすると下町の頑固一徹なラーメン屋のほうが敬意を表するに値するかもしれないのです。
喰うために必要な量は会社が大きくなっても同じサピエンスなのでさほど差はないでしょう。
体が一つしかないので服やカバンや靴の数も差はないでしょう。
もし自分が大きくなって天狗になっていると、またそれより大きい同類から馬鹿にされ搾取され道具にされるでしょう。
それは前記事に書いたように、結局自分が出したフォトンが単純に反射するだけのことでしょう。
それらは既に、小学校の班活動などで表れていました。
やりたい人は出来ない人。
頼まれる人ができる人。
無いものほど欲しがり、バツが悪いと目の前の絶対報復しないとわかっている善人に故意に責任を擦り付けます。
大の大人になってもしているでしょう?
そういう類は、誰にも信用されず孤立します。
武力で従えたように見えても本人は孤独で不幸です。
私は、途上国に滞在した時に村の農家で出されるチャパティや飼われている鶏(自然養鶏)の産みたて卵の方が、リゾートホテルの食事より価値が高いと思ってきました。
自給自足は確かに大変ですが、自己完結できる度合いが高ければ高いほどに、自由度は比例します。
搾取せずに物々交換で誰かと分け合えば、魂を悪魔に売って一生罪悪感を抱え生きていく人生とは縁がないでしょう。
せっかく長い時間を費やした「勉強」という時間を、殆どの人は無意味なことに使っているように思います。
本来は、自己肯定感を高めるためにセミナーに行く必要もないし、本を買う必要もありません。
まっとうなことをやり続ければよいだけです。
動物たちや昆虫は自己否定などしていません。
迷ったときは原点回帰。
原始人ならどうするか。
先住民ならどうするか。
これはスズメやゴキブリに通用するか。
つまりは万物に通用するのか。
国という、人間だけが決めた線の中でだけでしか通用しない話なのか、地球上隅々まで通用する話なのかとか(笑)
と考えてみれば、分かりやすいと思います。
すると人間の創った嘘なのか、それとも地球が与えた本質なのかがわかるでしょう。
最終、本当にその勉強は必要なのか?
資格は何のために取るのか?
喰うために働くと多くの人は言いますが、ではダイレクトに喰うために働けばよいのではないでしょうか。
それでもシステムというお話を都合よく使っている人々に話を合わさなくてはならないという面倒な無駄な時間が必要となりますが。
それを自覚し、そっちの方が楽だからなどという理由で誰かの会社で雇用されることを選択したなら、そのシステムを作り上げた経営者に感謝して働けるでしょう。
福利厚生がどうのこうのと、文句も言わなくなるでしょう。
本当のヒーローは下町にいます。
ぜひともそのようなヒーローとたくさん出会いたいものです。
今日も皆さんありがとう。
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