チョコレートを男に渡すというアレは、日本ならではの慣習なのか、子供の頃はまだ日本人全般が流行りに乗せられていない状態で、大都会でもそういったことをするのは一部の人というイメージだった。
それも私が小学校の高学年になると、友人たちと集まって好きな男子にチョコレートを作ってプレゼントするくらいになっていた。
私は幸運なことに初恋の相手と学年全体での公認のカップルになっていたので、安心して渡すことができた。
中には男子に棄てられる子もいて、本人が知ってか知らずか、同情すべき恋愛もあった。
高校生くらいになると義理チョコなるものが当たり前。
その後のバブル期は皆派手にやっていた。
旦那陣は(1~3号)いつももらってきたチョコをそのまま私にくれた。
私がもっとも女子にモテた高校時代のバレンタインは、沢山の女子から様々なプレゼントが。
ラブレターに始まり、手作りのぬいぐるみ、手作りのチョコレート、覚えていないくらい、毎年女子からわんさかもらった。
特別に好きな子には、難波に連れ出し、普段私が通うお店に連れて行って食事をご馳走したりして「デート」でお返し(笑)
ラブレターにはきちんと返信した。
当時血迷って、「暇だから」という理由で彼氏なるものを受け入れてしまったのだけど、遠距離ゆえに半年持ったという具合。
心斎橋のあの通りで「腕を組みたい」という彼に「歩きにくい」と断り、「眠いからどこか入ろう」とう彼に「じゃあ家に帰れば?」という私(笑)
14歳から40代の経営者層と出かけていた私は、面倒な子供じみたことをいう大学生の彼に嫌気がさした。
もっとも迷惑だったのは「明日テストなので帰る」と言った時、「俺とテストとどっちが大事?」と訊かれ、間髪入れず「テストに決まってるやん」
一応高校では首席で、勉強は授業で覚えて家庭学習などせず夜は出歩いていた私にとって、テスト前だけが復習の為に勉強するという貴重な家庭学習の時間。
これを邪魔されると、万一学年2位などに堕ちれば学校生活での自由がなくなる(笑)
私には常に「自由」が大切だから。
結果面倒な男に「別れよう」と伝えたのは半年後、その後1年半はつきまとわれ(今でいうストーカー)駅で待ち伏せされて内ポケットにナイフまで入れていたということもあった。でも結局、私が結婚して家を出たので片付いた。もう一人駅前で待つおっさんのストーカーがいたが、それも結婚して家を出たので解決した。
私にとって交尾は子づくりの行為。なので3人とまぐわい、3人と結婚した。
今も奇跡的な妊娠を望んでないわけではないので、どうしても遺伝子が欲しい相手が来たら奇跡を起こしてみたいという願望はあるけど、そっちにはあまり興味はない。
なので、そういった面倒な関係を持たなくてよい女子からのバレンタインのプレゼントは最高に嬉しい記憶だ。
体育祭や文化祭が終わったクライマックスの時、私をめがけて走ってくるクラスの女子たちがいる。
そういった子をすべて抱きしめて皆私の胸で泣いていた。(私は学校行事で泣いたりしない)
男と違って、こっちには下心はゼロなわけで、純粋に愛されている喜びと、女子に対しての愛らしさや可愛さを堪能できた3年間だった。
今年は仕事関係の方々にスイーツBOXをプレゼント。
材料が足りず、女性にはどうしようか迷ったが、一部なかったもののほぼ同じ内容で用意できた。
同居人には数年前から毎年BOXでスイーツ詰め合わせを作っている。
お返しは要らないから仕事をしてほしい。
ただそれだけ。
昔、読んだり、実際に現地に赴くNGOの代表の話などを聞きに行ったりして学んだアフリカの事情や、子供奴隷、カカオの話や珈琲の話。
先物市場のマネーゲームで翻弄される途上国の人々。
実際に2か月ほど滞在したアフリカの農村や見てきた現地事情。
それらから、今も贅沢にチョコレートを食べている自分を呪う。
いや、チョコレートが大好物な私にとって、カカオは「あと少し許してくれ」と心の中で宣う懺悔の代物なのだけれど。
自分で用意できるもの以外すべてが無くなっても生きる覚悟はできているけれど、今年も贅沢なスイーツを作ってしまった。
心のどこかで「これが最後のバレンタインプレゼントかもしれないよ」ってささやきながら。
国内で賄えるもので考えていかなくてはいけないし、物流が止まれば、自分で賄えるもので考えなくちゃいけない。
あとは自転車で移動できる距離での物々交換。
モノを言うのは、信頼されるべき正直な人間性と営業力、交渉力。
やることさえやるなら、恋愛よりも共に生きる喰うための仕事の作業員の方がずっと重要。
でもできれば、愛すべき殿方が作業もしっかりやってくれる状態が最高。
そう言った男がいないならいないで単独行動するので、しなやかに環境に適応する予定。
皆さんもお気をつけて
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