スピ系と現実主義者

 ニンゲンというものは基本自己正当化する意見を述べるもので、だからやることをやらない人間はやらない言い訳を山のように考えるわけだけど、それもその人より思考回路の多い人間が聴くと瞬時に「ああ言い訳ね」ってわかるわけで、話すのも聴くのもどちらも無駄なエネルギーと化す。

相手に非がない場合、重箱の隅をつつくような粗さがしが始まり、結果幼稚園児のような子供じみた罵倒にこれまた殺して喰った命のエネルギーを使う。

よく聴くテレビのチャンネルがどうのとかいうレベルのアレ(笑)

ニンゲンは大抵人をコントロールするための支配欲、支配者を利用する依存するためのゴマすりか、誰かに称賛されるための綺麗事や承認欲、大きく見せるための虚栄心などでお話を創っている。

誰かを褒めているようで実は自己正当化であって、自分との共通点を自分で褒めているというパターンが多い。

愛されたい人間は自分が愛がないから他者から欲しがる。搾取できないとわかると暴れる。

愛は万物と可能なものだから、愛がほしけりゃいくらでも周りの生物と愛し合えばよい。

紙切れの印字が沢山あるのに、無い無いといつも言う通帳の印字のみに喜びを感じる人間は、使い道も知らない心の貧しい人々だ。

こういう人間に渡しても誰のためにもならない。

群れで生きることもできるが、単独行動もできるシェリーの様に、支配者と依存者という構図に乗っからないニンゲンは、共生する対象を誰に代えても何に替えても順応する。

執着は錘となってそのニンゲンを海の底に沈めていくが、執着のないものは身軽で太陽の光を浴びながら大の字になってどこにでも流れていくことができる。

長い時間を勉強とやらに費やしたものは、それが根底から間違っていたとしても認めたがらない。真っ向からその書籍に書いている文章が文字通り「机上の空論」だと証明されたとしても。

なぜなら、自分の膨大な時間を否定することになるからだ。

しかし、今この瞬間で潔く認めれば残りの人生は光の世界になる。認められない豆腐メンタルは死ぬまで自分を信じ切れずに終わる。

間違いは気づいた瞬間にやめることだ。失敗は誰にでもあるし、人間はそれほど賢くない。間違いだとわかっていながら続けるから罪悪感で毒が全身にまわるのだ。

 

現実を徹底的に直視すれば、癒しも要らないし、スピ系に依存することもない。

 

立ちはだかる壁はとても大きく見えるかもしれないが、壁の向こうの景色はいつだって美しい。

越えたことのない人には生涯見ることができない美しい世界だ。

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