奇跡は準備ができた者にだけ訪れるを10000回ほど読んでいただければ、思考の現実化の仕組みがわかるかもしれません。
良くも悪くも現実化。
喰った他生物の命をどう使うのか。
アデノシン3リン酸が100だとしたら、プラスに使ってもマイナスに使っても100
自分の生きているエネルギーも同じ。
自分の命の時間と交換したお金という交換券の使い方も同じ。
全ては算数。
小学生の算数で充分です。
となると、自己を顧みて算盤ではじきだすとき、アデノシン3リン酸を「好き」なものと「嫌い」なものに使っていることに気づきます。
心底嫌いな生き物には(人生で5~6人ほどいる)アデノシン3リン酸をつかうことすら勿体ないので脳から削除します。それが生きていても死んでいてもどうでもよく、たとえるなら埃のような存在。
時に「群れで生きるために」という前提条件で大勢が信じていることに合わせてお付き合いする形のエネルギーの使い方。
これはいつか真の相互扶助になるかもしれないという希望を孕みます。
好きな存在や活動にダイレクトに使う自己エネルギーには満足。
自分のためです。
そして不可解なのは、面倒で嫌いな存在に使う自己エネルギー。
まだ脳から削除していない存在です。
ただし、削除できる自分がわざわざ嫌いなものにエネルギーを使うということは、どこかに期待があるのか。
もしくは、ネズミが火事の前に逃げるあの感覚で、先に必要だとわかる日が来るのか、自分を宇宙から俯瞰的に眺めます。
必要ならここに在って必要なければ淘汰される
地球から湧いて出てきた自分が、自分で動いているようで動かされている何か。
馬鹿なサピエンスには一生かかってもわからない、隠された自然の摂理。
イライラしながらそういった観点でいったん自分を破壊して立て直してみると、好きに使っているエネルギーと嫌いに使っているエネルギーの配分が見えてきて、その「嫌い」は本当は「嫌い」ではなく別の言葉に置き換えるべき何かなのではないか、などと思ったりもして。
しかしとにかく「嘘つき」という生き物は周囲を不幸にしかしないので大嫌いですけどね。(表面的短期的ではなく最終的に)
だから言葉を話す人間は絶滅するのかな(笑)
地球よ早く治れ
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