流れに乗らない

流れに乗るという言葉の反対語ですが、様々な場面でそれは活用できます。

ビジネスなどで「流れに乗りましょう!」というような言葉をよく聞くと思います。訪問販売で、「近所の方も皆さん契約されました。」なども同様です。同調圧力を利用し、人をコントロールして動かす場面に私たちは生まれた頃からずっと出くわしています。

そういうものを『流れに乗る』とは言いません。誰かの思惑にまんまと乗るようなことが『流れ』ではないのです。

本来の流れとは、自分の祖先からの流れのことであったり、地球全体の流れであったりして、特定のニンゲンが故意にコントロールできるものではありません。生物がどのくらいいて、どのような生き方をしているか子供用の図鑑などで簡単に確認してみることもできます。(子供の図鑑は素晴らしいです。学生時に勉強ができなかった人にもわかりやすく書かれていて真剣に読めば多くの気づきや知恵を与えてくれます)

死を悼む動物たちや岩合さんのおきて、家族で読みたいシートン動物記などは、動物について想いを深める、書庫に置きたいお勧めの本でもあります。動植物と共に暮らせば、机上の空論ではなく、実体験として学ぶことが多くあります。

わざわざ難解な勉強をしなくても、生まれた頃から死ぬまでそうして周囲の生物に真摯に対峙し、地球上の仲間について知る努力を怠らなければ(人間含む)誰にでも気づくことがあります。ニンゲンだけが特別な生物ではないし、自然の摂理から外れるわけではないと思います。

そういった最低限の生物としての知識、殺して喰って血肉にして出して交尾して子を遺して循環して・・・・・・というような『生きて死ぬサイクル』を基本軸として物事を視てみることも大切です。

自分の願望や分析した流れとは違った明日が訪れたとき、人々は大抵、抵抗します。それがニンゲンの故意に起こした創作なのか、他生物にも共通する自然の摂理なのかを見極めることは重要です。また、怠惰になり退化してしまいそうな第六感、つまりシックスセンスは、深呼吸をして孤独の中に在れば『違和感』という形でお報せをくれます。

大多数が右に歩いていくから、自分も同方向に・・・・・と『流れ』の判断が自分や総合的な生命(地球のようなもの)ではなく、一生物の利己的な動きである場合、それはもしかするとあなた自身の『流れ』とは相反するものかもしれません。従うべきは己の『違和感』これひとつです。そこを明確にするためには、依存や怠惰は非常に邪魔になるのです。

恐ろしいのは判断できない状態にじっと耐えて、感覚を研ぎ澄ませる努力をせずに、『根拠のない自信』で押し切ってしまうことです。真に自分を信じている人に『根拠がない自信』などはあり得ません。生まれてから積み上げてきた経験、確認という体得のヒットポイント、つまり根拠はあるのです。

また第三者の目は案外確かです。自分に対して他者がほぼ同じ評価をする場合、自己分析の大きなキーとなっています。例えば『美人』とか『男前』などは自分では決して決めることができません。組織のリーダーなども『あなたにお願いしたい』と頼まれて引き受けるのが自然の流れであり「わたしがやりたい!!」というのはそれがわからない人々です。つまり頼まれたことがない類です。数値で戦う場合などはそれが明確なのでわかりやすく、計数が高い方が信じられやすい傾向にありますが、それでも違和感がある場合、関与しないほうが無難でしょう。

自分が長く生きて年長者が次々と逝く中で、話をすると感じることがあります。細胞は確かに弱っていくのかもしれませんが、持って生まれた性質はずっと同じなのではないかと。環境要因で一時的にバイオリズムのように上下はしても遺伝的要素は組み換えをしない限り大きく変わっていないように思います。自分軸だった人が他人軸になったりはしないし、優しい人が虐待をしたりするような人間にはなりません。人の性質などは先天的に大まかには決まっているのだと我が子をみても身内をみてもまた我が家の多頭飼いする動物たちを視ても共通しているように思います。

流れとはそういう変わらない性質も含んでいます。その流れに抵抗することは、自分に嘘をつき続ける人生になり幸福とは縁遠くなっていくこと必至です。

相手を誰に代えても、コミュニティを替えても、自分への他者のイメージはさほど変化しません。ツアーなどではなく単独でプランを立て、時には空港で寝泊まりし、屋台の物を食べ、あちこちの国でいろんな人と話してきましたが、日本にいて他者が私に接する態度とそれとはあまり差異がありませんでした。

皮膚細胞が心筋細胞に変化しないように、地球という受精卵から生まれた自分の役割は変えられない流れなのかもしれません。ですから故意に創られた流れが自分のそれと合致していない場合は『違和感』として伝わり、その流れには私は乗らない主義です。

いま自分がタイムマシンに乗って、祖先の交尾相手を阻止し、別の誰かと交わらせ、環境を変えるために移住させ、食事の形態を劇的に変化させたりできるのならいいのですが、『自分』という存在自体がその結果生じた必然なのだから、抵抗は無駄な時間に思えます。その流れには乗るしかない仕様のないものです。

何処へ行っても誰といても求められること、これは誰かの意図ではなく自分の役割です。

各々がこれに徹すれば、真の仕事や役割がきちんと割り振られ差別など劇的に減るでしょう。また、生物は必ず死ぬのだという『流れ』を忘れないことや抵抗しないことで、自分の行動や選択は地に足のついたものになると思われます。

所詮生物の一種であるニンゲンの一個体ですから、大差はありません。地球規模で見るその僅かな差異に一喜一憂したり、羨望や嫉妬にエネルギーを使ったり、自分の流れから逃げたりしないことが、この澱んだ流れを一気に浄化させる一つの方法かもしれません。

 

もし『違和感』を自分の中に感じているなら、何より大切にしてください。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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