流れに乗らない

流れに乗るという言葉の反対ですが、抵抗とも言い換えられます。

「流れに乗る」の捉え方を、金銭的成功に向かってとか、目的達成に向かってという意味で捉えているのではありません。参考までに過去記事から一部抜粋します。

ビジネスなどで「流れに乗りましょう!」的なマインドコントロールをして、うまく奴隷を動かす場面に出くわしますが、あぁいうのを流れに乗るとは言いません。誰かの思惑にまんまと乗るようなことではなくて、自分の一生の流れというものがあると思うのです。

 

私の思う「流れに乗る」とは、例えば予定外の面倒な問題がふりかかったときにそれを受け容れる決意や、道が拓けたとき勇気を出してその中に飛び込んでみること、自分を必要だと感じている人に呼ばれて会ってみること、お願いされた仕事を引き受けること、などです。

過去記事 流れに乗る

 

自分の願望や自己分析した流れとは違った明日が訪れたとき、人々は抵抗します。何度も失敗して、今度こそはと信じて続けることももちろん大切ですが、何度抵抗しても引き戻されるような、いつも何も変わらない大きな流れというものがあります。

自分一人の願望で「○○したい」と考えていても、誰も求めていなければ徒労に終わります。

必要とされた「場所」や「人」に優劣をつけ、不平不満を言い、自分にはさらなる何かが出来ると過大評価して、いま持っている才能を使わずに虚栄心と傲慢さを顕わにするとき、大抵は遠回りするだけで何もできずに終わったりするものです。

第三者の目は案外確かです。

他者が自分をどう感じているかは、多分、子どもの頃から年老いてもさほど変わりません。

仕事で成功をおさめ多少ちやほやされても、人の性質などは先天的に大まかには決まっているでしょう。

心の伴わない表面的な関係しかないとしたら、それも幼少からの友人知人関係とあまり変わりないのではないでしょうか。

逆に誰とでも信頼関係を築け、幸福なコミュニティに生きているとしたなら、それも個の性質から来るものでしょう。

群れるのが好きとか、孤独が好きだとかいう性質も根底ではずっと変わらないものではないかと思います。

そういう変わらない性質に添って、周囲の人間関係や仕事などで自然発生的に起こってくる流れに抵抗することは、命の時間の無駄遣いに終わる可能性がとても高いように思います。

相手を誰に代えても、コミュニティを替えても、自分への他者のイメージはさほど変化しないと思います。

仮面を被ったとしても、ニンゲンは直感で嘘を察知していますから、余程鈍感な人間を相手にしない限り不信感はぬぐえないでしょう。

となると、抵抗しても継続的に来る流れというのは、死ぬまで続く可能性が高いのです。

自己を過大評価しても過小評価しても人は抵抗する傾向にありますが、植物が動物に喰われる運命なのと同じで、自分も緩やかに見えて決まっている運命の流れがあることを自覚したいものです。

すべては仕様がありません。

いま自分がタイムマシンに乗って、祖先の交尾相手を阻止し、別の誰かと交わらせ、環境を変えるために移住させ、食事の形態を劇的に変化させたりできるのならいいのですが、「自分」という存在自体が顔も頭も体も必然なのだから、無駄な抵抗はしない方が賢いと個人的には思っています。

抵抗によって得られるものは僅かな差異でしょう。

僅かな差異で7代先の子孫は変化するかもしれませんが、ホモサピエンスがまだ地球に居るかどうかもわからない現状です。

自分が求められている事は、自分にとって良くも悪くも実力なのだと自覚して、抗わずそこに懸命になることが納得できる人生の近道なのかもしれません。

期待されているなら応えることも道。

呼ばれもしないのにしゃしゃり出ないことも道です。

所詮生物の一種であるニンゲンの一個体ですから、大差はありません。

地球規模で見るその僅かな差異に一喜一憂したり、羨んだり、嫉んだり、逃げたりしないことが、この澱んだ流れを浄化する唯一の方法なのかもしれませんね。

生きているのだからそれでいいのです。

 

もし抵抗を自分の中に感じているなら、多分それは自分にとっての「間違い」です。

さっさと流れに乗るほうが賢明でしょうね。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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