今日は娘だけ朝ごはん。同居人は抜きでハーブティーのみ。
酒種雑穀ナッツスパイスパン
チョコバウム
うちのゴーヤのソテー
うちの南瓜のスパイスソテー
うちのズッキーニのソテー
うちのトマト
ロメインレタス
平飼い卵とツナのスクランブルエッグ
秋映
バナナ
無農薬柿
無花果
自家製ハーブブレンドティー
(柑橘類3種・花梨・レモンバーム・エルダー・和薄荷・マルベリー・ミルクシスル・ルゼラなど)
10種以上配合する適当(笑)ハーブブレンドティーが美味しくて仕方ありません。
全員がハーブティーを飲みたがるのは、身体が欲しているからでしょう。
巷ではまた流行り病があるみたいなので、ささっと浄化できる体の細胞が必要ですね。
細胞に栄養を与えるのはなんなのか。
自分の指がとんでも脚がなくなっても、顔が崩れても腸内細菌が変化しても「自分が在る」わけで、つまり自分の意識からくる「選択」が何を食べ、どこに向かい、誰と生きるか、どこで生きるかを決めています。
その選択で幸不幸は決まります。
責任転嫁するタイプの人も、実際自分でその意見や方法を採用したわけですから自分の責任です。もしも相手がや~さんなら瞬時に土下座でもするのでしょうが、そうではない決して報復しないであろう目の前の人に自分の心のバランスをとるために故意にそれを擦り付ける行為をするほどに精神力が弱い類だということです。
力加減での強弱、精神力での強弱、生命力での強弱など個体差は遺伝的、環境的に確かに在るものですが、まず、自分がなぜそういう行動をとるのか自覚しないと生涯壁の前をぐるぐる回っていずれバターになるでしょう。
弱者だと気づけば相互扶助関係者に感謝出来ますし、自分で創れない人においては、クリエイターや社長に感謝する事が出来ます。また自らの不幸における問題解決を自分で見いだせない人なら、問題解決能力の高い人に依存することは生きる上で必要な事なのだと自覚でき搾取ではなく感謝をするものです。
時に全部自分で創りたい、解決したいというドM的な特異体質の人もいて、こういう種は孤独を全く怖がらぬ人々で、ある日何かで失敗して生を終えても納得する類の人たちでしょう。
依存や弱者がダメということではなく、自覚がないから傲慢になり、権利ばかり主張し、実は地球上で人間だけが採用しているこのお話は生命に必要のないものだと知っていながら、それがないととっくにこの世にいなかったかもしれない自分、もしくは生まれてさえ来なかったかもしれない自分、というのを潜在的に察知しているから印字の桁にしがみつきたいのかとさえ思われます。
隷属する相手にさえ感謝であり、やればすべて自分でできたとしても、代わりにやってくれる日々の生きるための作業や、事業部内でベルトコンベヤーの作業をしてくれる社員に経営者は感謝すべきで、もちろん税金で喰っている人は国民すべてに感謝なのです。
「まだ生きたいなら」今日も一日中感謝すべきことはあり、下手なファンタジーで自分を守るより、素直に謙虚にそれを伝える人は幸福です。
愛の循環は互いにそれをわかり合っている関係でしか起きません。
こういった思考がベースの自分にとって、目の前の人が胸を張っている姿に価値を見出せません。
やくざから政治家まで皆同じ。
国籍も、肩書も、もちろん学歴も何も関係なく、自分も含めどこにも善人はいないし、優劣もありません。
ただ魂をじっと眺めていたいと思います。
万物に懺悔
地球に愛を
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