自然淘汰

自然淘汰とは文字通り自然に淘汰されるものであり、これに逆らうことよりも、潔く受けいれることが得策で、これに逆らう動物は

多分ニンゲンくらいではないだろうか。

 

視点をどこに定めるかによって、ニンゲンの再現ない利己主義は時に善に見えたり悪に見えたりする。

時代の変容に対応できなければ、淘汰されるのも仕方なし。

もちろん自分がその淘汰される側であったとしても。

いつまでも自分が正しく善であるというような形態が流行るとも思えず、それについていくのに疲弊している人々で溢れかえっているように見えるのは私だけだろうか。

 

「時間は前にしか進まない」

 

息子が寝たきりの時に言った言葉である。

前に進んでいるなかで、何が淘汰され何が生き残るのか、俯瞰的に視ながら、子孫には生き残っていただきたいと思う。

 

また人間関係においても自然淘汰に任せれば簡単に本心は視える。

自分が優劣善悪を決めずに、そのまんま、正直に自分を表現したとき、綺麗事で付き合っていたニンゲン達は必ず消える。

ニンゲンは嘘つきのようでいて正直だ。

幸せな環境から逃れることはない。

私から地獄に見えたとしても彼らはそこが幸せであり、彼らから私の住む世界が地獄に見えたとしても私にはこの上なくこれが幸福なのである。

あら、私とは住む世界が違ったのね、と消えた瞬間にわかるのだ。

去るものは追わない主義。

自分を好きでない人々と共に生きても面白くない。

悲しくもないし執着もない。

悲しいのは、自分と共に生きていた存在が逝ってしまったときだ。

距離的に離れていてもエネルギーは授受できるが、死んだら無である(と現時点は自分が死んで確かめていないのでこうしておこう)から、仲間が独りいなくなったということになる。

ま、だからといって自分も必ず死ぬので、地球的にみれば単なる循環。

いつまでも拘っても仕方ない。

脳の奥深くに存在を記憶して、自分が死ぬまでの煌めく宝物にしてしまうのが得策。

人間関係は、いちいち揉めなくても自然淘汰に任せておくのが楽でいい。

全員に好かれようなんて傲慢さを露呈するから苦しくなるのだと思う。

動物は自分のためにしか生きない。

そもそも好かれようとすることが陳腐であると私は思う。

 

それでも、読者でいてくれる皆さんに……

そして私とお付き合いしてくれる方々に……

今日も皆さんありがとう。

 

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