自然淘汰

自然淘汰とは文字通り自然に淘汰されるものであり、これに逆らうことよりも、潔く受けいれることが得策で、これを邪魔するものと云えば

欲·執着·偽善

だったりするのだろう。

視点をどこに定めるかによって、ニンゲンの再現ない利己主義は時に善に見えたり悪に見えたりする。

時代の変容に対応できなければ、淘汰されるのも仕方なし。もちろん自分がそうであったとしても。

いつまでも、自分が正しく善であるというような形態が流行るとも思えず、それについていくのに疲弊している人々で溢れかえっているように見えるのは私だけだろうか。

 

「時間は前にしか進まない」

 

息子が寝たきりの時に言った言葉であるが、前に進んでいるなかで、何が淘汰され何が生き残るのか、俯瞰的に視ながら、子孫には生き残っていただきたいという、動物の本能が強く強く表れているのが自分なのだと自覚している。

 

淘汰される側にまわるのではなく、私は多分誰よりも子孫を遺したい欲求が強いだけなのだと思う。

 

原動力はそこにある。

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