自然淘汰

自然淘汰とは文字通り必要のないモノが淘汰される自然の摂理です。

時代の変容に対応できなければ、淘汰されるでしょう。

もちろん自分がその淘汰される側である場合もあり、潔く覚悟することも必要です。

地球に必要のないモノは消えるでしょうし、必要ならまだそこに在るでしょう。

 

人間関係においても、自然淘汰に任せれば簡単に自分を取り巻く人の本音は見えます。

正直に自分を表現したとき、綺麗事で自分と付き合っていた人々は必ず消えます。

ニンゲンは表面的には嘘つきのように見えますが、行動はとても正直なのです。

幸せな環境から離れる人はいません。

耳が痛い友人の意見に「いいね」を押せる人もそうそういません。

他者に対する応援は、相手のためでなく自分のためです。

ですから、たとえもっともなことを提唱していても、自分の立場が危うくなるような、少数派の活動家を大多数は応援しません。自分は傍観者に徹し、まるで地雷原を少年兵に歩かせるテロリストのように、その人が死なないかどうかをじっと見ています。そこで誰か有名人がお墨付きをだそうものなら「私もずっと応援していた」ともっともらしい話を創るのがニンゲンです。支配者にとって一番扱いやすい類がこれなのです。

自分の頭で考えられない人は「肩書」で判断します。自己正当化のために誰かの意見を利用しますし、劣等感を持つ人は権威に同調します。「自分はこう思う」を決して言わないのです。ニンゲンは、ハムスターが全員回し車を走るように、ほぼ同じ動きをします。多数派といわれるのがそれです。もしも自分が異端者であれば、多数派のニンゲンは自分の前から消えるのです。多数が正しく異端者がまちがいだと言っているわけではありません。

果たして自分の周囲にはどんな類のニンゲンが取り巻いているでしょう?それが自分自身の姿です。

表面的なお友達の「数」は確保していても、あまり意味がありません。信頼し合えない多数よりも、信頼できる独りが重要です。

人間関係の自然淘汰で、分かりやすいのがネットワークビジネスです。

「ネットワークビジネスをすると友達がいなくなる」のではなく「最初から友達がいない」のです。自分はお金をもらって仕事をするくせに「ネットワークは金目当て」と言って批判する人の真意がよくわかりません。あれは趣味ではなく仕事ですから、ボランティアでないといけない理由がわかりません。また、人を騙して生きている人ほど「騙される」と思い込むのです。「自分には営業力がないから」とか「信頼関係のある人が一人もいないから」という方が騙されたという人の本音でしょう。

 

冷静に見てみれば、こうしていつも自分の目の前で自然淘汰は起こっています。

SNSでも同様です。

親子だから、夫婦だからといって、信頼し合っているというわけでもありません。

自分をさらけ出しても消えない人が、自分を愛してくれている存在でしょう。

 

正直に生きれば簡単に自然淘汰は起こります。

地球が生み出した生物の一つである自分と、傍らを飛んでいる蚊は同等です。

自分だけが大勢の人に愛されるわけもないでしょう。

日本が貧乏になっていく中で、大切なのは綺麗事でつきあう表面的な人間関係ではなく、淘汰されても自分の前に遺る人々です。

独りではできなくても、協力すれば新しい生き方を創造したり、システムを替えたりできるのです。

精神的に自立すれば、生き物が死ぬということも理解でき、誰かに責任転嫁するような人生にもなりません。

無駄な恐怖を持つ必要もなくなります。

いつか私たちも、必ず地球に淘汰され死にます。

だからこそ、その生きている残りの時間の使途は、支配欲や虚栄心から人を騙したり、関係のない動物を虐殺するためではなく、地球のがん細胞にならないように美しく生きるためでありたいと願います。

 

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Pocket