自己正当化

誰かが何かを否定するとき、もしくは批判するとき、殆ど全部と言っていいほどその理由はパターン化されている。

 

自分と同じものを否定する人はほぼいない。

自分が好きなものを批判する人もほぼいない。

 

学歴重視で、単なる「大学を出た」ということに重きを置いている人は、高卒中卒者を馬鹿にする。

たとえ彼らに圧倒的に知能指数が劣っていてもだ。

 

お金重視で、自分が稼いできた人もしくは配偶者や親の金銭に依存して生きた人は、金持ちだということに重きを置き、ニンゲンを通帳の印字の桁で判断する。

たとえ、人間以外の他生物がそれを人間が作った単なるファンタジーだと知っていても、決してそれを認めない。

だからどんなに不条理でも、シナリオライターに加担し続け革命は起こさない。

 

いつぞやのセミナーで、

「胸が小さい人は自身がないから下を向いて歩き猫背になる」

と言った女性がいた。

その人は私の1.5倍くらいの身体の厚みがあり、胸もFカップぐらいだったろうか。

胸の大きさと自信や、男にモテることが全く関係ないと知っている私にとって、その自己正当化の意見はとても分かりやすい例だった。

 

また、息を吐くように嘘をつく人は人生を通して年中嘘をついているが、そういう人は決まって

「正直な意見にはとげがある」

という。

自分が嘘をつくのでどうしても正当化したいのだ。

だけどその嘘が詐欺まがいのビジネスを作り、人を陥れる根源になり、誰かの命の時間を無駄に奪い、決して幸せを生み出さない根源だとは認めない。

嘘つきは嘘つき同士、同じ世界で騙しあえばよい。

 

言葉にはその人の世界観が表れている。

 

何もかもシンプル。

 

今日も皆さんありがとう

 

 

 

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