随筆 13

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どんなに憧れても羨んでも、人は誰かにはなれない。

だから、目標は自分で決めた自分像でよいと思う。

本来の仕事や、役職、立場などは、ニーズがあって、それに応えることで成り立ち、やりたいからと言ってやることではない。

ニンゲンは基本的には群れになって生きているが、その中でも、自分で決められることと、他者にしか決められないことがある。

肩書や立場などはそうで、自分の願望よりも、多数の人のニーズに応えることが最善だと思われる。選挙などもそうかもしれない。社長後継者などもそうかもしれない。国王などもそうかもしれない。

また、聡明であるとか、謙虚だとか、痩せているとか、肥っているとか、背が高いとか低いとか、美しいとか、品があるとか、弱い、強いなども、自分では決められない。他者にそう言われ続けて、あーそうなんだと自覚するものである。

自分で決められることは、自分の生き方くらいであろうか。

縁などないと思っていた人と出逢って信頼関係が築けたり、思いもよらない立場に抜擢されると一瞬躊躇うが、方向性が自分と大きく異なることがなければ、なるべく応えていきたいと考えている。

 

来るもの拒まず去るもの追わず

 

そうやって自然の流れに身を委ねていると、多くの日本人のように「〇〇しなければならない」と強迫観念にかられたり、他者の生き方に一喜一憂したりはせずに済む。

身体に例えるなら、皮膚として生まれた人もいるし、脳として生まれた人もいる。心臓として生まれた人もいるわけで、役割がそれぞれ異なるのだ。誰かになりたがっても、自分は最期まで自分以外にはなれない。

 

世界は全部で一つ。一部は全部。

 

優劣を決めつけて、必死に「優れた」ふりをしなくても、ホモ・サピエンスはホモ・サピエンスなのだから、大差に見えるものはさほど大差でないのかもしれない。個々の役割に徹することが望ましい。

小さなことで争ってしまったら、知能が残念がる。

あなたは最期まであなたでしかないし、私は最期まで私でしかない。つまりそれは、役割の違いなのだろう。

肩の力を抜いて、自分らしく素直に生きている人はとても魅力的だ。

生きるってそれで十分なのではないかと思う。そんな人々が助け合える世の中がいい。

自分が得意なことは自分が任され、誰かが得意なことは誰かにまかせればいい。そこに抵抗すると、結局本人が疲弊していく。

 

夏の昼下がり、まずは自分の役割がなんなのか、きちんと考えてみようと思った……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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