人は年齢ではなく、肩書でもなく、生れた時の資質をベースに死んで逝くのだと思う。
子どもを真摯に視て育てた人なら誰でも知っていると思うが、大人になっても赤ん坊の頃の性格は全く変わらない。
子どもの頃大人が皆賢くてきちんとしていると思い込んでいたように、自分が歳を重ねてもまだ無知であったり、たとえ博識があっても専門的なモノだけに特化しているだけだったり、億単位で金を持っても、地球の循環を理解していなかったりすることはあり、生物の一種ニンゲンごときが完璧であるわけもなく。
だからこそ、冷静にニンゲンを見ていればどんな人をも許せるし、包み込むしかないのではないかと思う。
だけど、その人の人生はその人のモノであり、どんなに好きでも他人が責任をとることはできない。
厳密に言えば真に助けることはできない。
本人が気づきながら学びながら、進んでいくしかない。
依存は執着と密接にかかわり、重りとなって海の底に沈んでいく。
孤独の恐怖は、万物を視ていない人にしか持てないもので、実際には愛する魂はそこかしこに存在していて独りになりようもない。
精神的に自立した者同士は歩調を合わせ笑いながら進んでいくので互いに楽しい。
この自立とは身体的な問題や金儲けの話ではない。
キーワードはまさに「依存」であった。
依存から問題が勃発し、依存に終わる人と自立に向かう人に分かれる。
起こることは必然。
エネルギーの流れは本当に上手くできている。誰も逆らえないしはっきり答えが視えている。
助けたくても助けられない。
だから自分で這い上がれ!!
14年前にあの人が私に言った言葉がこだまする。
大学生が口コミで我が家に集まり、泊りに来たり食事を食べに来たりしても親から礼があるどころか
「あなたは騙されている」「ただで食べさせるわけがない」「魂胆がある」
と言われる。
こちらが募ったわけではない。ネットワークビジネスのように口コミで友が友を連れてくるようになった。
親が分かってくれない、将来の方向性が合わないと言って。
そんな風に集まって10人に食事を作って食べさせていたこともある。
その中の一人に訊いた。
「あなたもお母さんに行くなと言われてるんじゃない?皆お母さんたちは私が悪いと言ってるようよ。やっぱり私の責任よね」
すると彼はこう言った。
「それは元からそこに在った関係性で、あなたと関わることで表面化しただけのこと。元から信頼関係なんてないからそうなるんだよ。あなたのせいで親子関係が壊れるなんてことはないし、それはかえって傲慢な考えだよ」
この二十歳の一言が、私の人生を変えた。
子どもの頃から友人やその親、結婚相手や義父母、知人などから責任転嫁ばかりされてきた私は、本当に自分の責任だと思っていた。
その言葉で考え直し、気づいたのである。
責任転嫁とは自分の心のバランスをとるために、瞬時に見抜いた、目の前の絶対報復しないとわかっている善人に故意に責任を擦り付ける行為
だったのだと。
そして「騙されている」という言葉を使う人ほど、他者を騙している人、つまり嘘つきであるということが。
なぜなら、もし私が強面の指が一本とんだあっちのお仕事の人なら、責任など擦り付けられないと気づいたから。
つまり、故意でやっているのだと。
同時に、「自分が悪いのでは」という意識が相手に伝わり、そこにつけ込んでいることも。
だから、責任転嫁をする人の利己的さを徹底的に分析し、誰にでもわかるような言葉にした。
エネルギーの法則に逆らえるものはこの世に何もないように思う。
依存というエネルギーが起こした問題の根源は、まわりまわって依存を表面化させ、関係者各位に気づきを齎す。
そして気づいた者は依存という心の責任転嫁をやめ、自分の道を自分の脚で歩く、つまり自立を選ぶのである。
だから、今、此処だったのか。
今日も皆さんありがとう
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