進化と絶滅

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いま、ホモサピエンスが考え出した「仮説」のなかで、様々な科学的な「エビデンス」や「歴史」と言われるものがありますが、

それを何の疑いもなく、本当に信じてしまってもいいのでしょうか?

その仮説の中には、本当にそうだというもの、答えに近いところまで辿り着いているもの、答えなどなく自由自在に変化するものなどがあると思います。

スピリチュアルとか、霊的な世界を信じられない人もいるし、見えるという人もいます。

世界には不食の人が相当数いると言われています。お会いしたことはありませんが、あり得ると私は考えています。手をかざしただけで人の病を治す人がいると聴いたこともありますが、あり得ると思っています。

勉強した知識だけを「正しい」と仮定してしまうと、それを否定することは、それを信じて生きてきた自分を否定することになるので、なんとしても自分を肯定したいという心理が働き、エビデンスのないものは信じられないとなるのかもしれません。

 

人間優位論

を唱える人々と、ニンゲンも全体の一部と考える人とで大きな価値観の開きが出てしまうと思います。

科学を否定をしたいわけではありません。信頼している科学者もいます。

興味深いことだと考えているのは、誰も思い付かないこと、説明のつかないこと、死んでみないとわからないことなど。

でも、どんな世界観を持つのも個々の自由です。答えはひとつではないし、命を授かった生命体そのものがそれで満足して生きているなら、外野の意見は意味をなしません。

250万年前ヒト属が進化し始め、ホモサピエンスが台頭する現代に至ると言う仮説を信用したとして、疑問に思ってきたことがあります。

そもそもホモサピエンスしかいないというけれど、進化とは止まることはないのではないか?と。

私たちがホモサピエンスだと思っている我々ニンゲンたちは、すでにもう進化の過程で異なるものに分離しているのではないかと。

世界は循環していて、栄華を極めたものが衰退するのは、循環のなかでは自然であり、生まれたものが死ぬのも自然です。

絶滅に向かうものは、本人たちはそれと気づかずに絶滅に向かっているはずで、進化して生き残るものたちも、本人はそれと気づかずに新生する方向へむかっているのではないか?

 

私たちに理解できないことをやってのける「ニンゲン」がいたとして、それを

ありえない

と切って捨てる人々は、飛行機で飛ぶことを、「ありえない」と思う猿と同じなのではないかと。

 

過去のものと未来に生まれくるものとの融合。

 

種が異なると、交尾しても子孫ができないとしたら、不妊の原因は冷えや内分泌撹乱物質だけで説明できないかもしれない。

いまのニンゲンの頭ではまだ、それを明確に分類することができないとしたなら。

なんてことを真剣に日々考えています。

 

娘が購入したこの本は大人にも子どもにもお勧め!

 

是非読んでみてください。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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