大人としてセルフコントロールができ、心の抑揚をなくしていくことは、冷静に物事を判断することにも繋がります。
子供の頃、ある日ふと宇宙から見た自分の立ち位置を考えてみました。
地球の上の、日本という島の、大阪の…
塵のような自分の存在に気づきました。
全体の中の一つの細胞みたいなものだと。
怪我をして細胞がいくつか死んでもまた生まれてくる、そんな循環の中に存在している一つのものに見えました。
俯瞰的な視点を持ち、冷静に判断する人が、ニンゲンをバカにしているのだと勘違いする人がいますが、それは逆です。
そう思う人はその人自身が自分を高く評価しているからです。
俯瞰的な視点を持つには、自分の存在を単なる細胞と考えるような、我欲とは真逆の思考が必要です。
喜怒哀楽を素直に表し、自己を高く評価できる人は幸福なのだと思います。
俯瞰的に眺めるような視点をもつには、もたなければならなかった理由が必ずあるものです。
自分の存在を限りなく無にしていくからこそ、全体を視ることができるわけです。
今日殺して食べた命のエネルギーを、きちんと自分の幸せのために使うことこそ、幸福の第一歩。
幸せになりたい人が、その背中を見てまた学ぶでしょう。
そうして自分を貫いて生きていくだけで誰かに貢献しているのだと思います。
右往左往する人の背中など誰も見ません。
利他的行動は素晴らしいものですが本当に誰かの自立を思うなら、自分を貫くことが最善なのではないかと思います。
すべての人に選択の自由があります。
善に見えようが悪に見えようが、それを裁くことは、本来誰にもできないのだと思います。
貴方を愛している人のためにも幸福になってください。
今日も皆さんありがとう。
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