昨日の自分

過去に執着し未来に向かって進めずにいたり、自分の愛した人が自分を嫌いになったからといって雁字搦めにするなど・・・・・

摩訶不思議な感覚なのです。

ニンゲンは常に自分の世界を自分で創っています。考えることができなくて隣人のそれを真似たとしても、模倣する人生を選択したのはその人そのもので、やはりその人が創った道です。

1年前の皮膚細胞はもうありません。

腸内細菌も入れ替わったかもしれません。

自分という定義が一体どこからどこまでなのか分かりませんが、10年前の自分はすでに存在しないでしょう。現代大半の人が「習う」生物学や医学がだいたい合っているとするなら、細胞は殆ど死んだはずです。

そうなると「自分」とはいったい何を指しているのでしょう?それは細胞ではなく、意識体なのかもしれません。

その意識が過去に執着し、他者の変化を許さなかったり、逆に変化しないことを許さなかったりするのでしょうか。

変化を嫌う類と、進化することに歓喜する類がいます。他者をコントロールしたがる類とそうでない類がいます。

その意識体がそれらを決定づけているなら、過去に執着する人は今後もそれを続けるでしょう。

昨日まで何を聞いても何を見ても傍観していた人が、今日から革命家や活動家になったりはしません。革命家などは幼少期などに既に芽が出ています。

世界のシステムがすべてだと思う人は、新しいシステムができればまたそれをすべてだと思って生きていくでしょう。軸はまずブレません。軸がないかのように誤解される人もいますが「手が届きそうなことだけ模倣する」「問題からは全力で逃げる」「虚構で人々を騙して優越感に浸る」など、それなりの個人の軸が必ずあるのです。

この世に正誤はないし、優劣もなく、価値観はそれぞれです。もしかすると猿からヒトになった頃は、ここまで多種多様でなかったのかもしれません。何世代にもわたって祖先が選択してきた結果、皆少しずつ別の種に分化していっているのかもしれないと思う事さえあります。

日本人だから日本語が通じるかと言えばそうでもなく、スワヒリ語圏の人だから通じないかと言えばそうでもありません。相手が人であろうと動物であろうと通じるモノとは通じるのだと思います。国籍も種族も、便利のよい区切りにすぎないのであまり関係ありません。

ストレスの回避や孤独の穴埋めなで、他者の変化を阻止しようとする人もいますが、誰も誰かの生き方を強制することはできません。

自分の「好きな」世界と、他者が選択する世界は別物なのです。脳の電気信号があなたの世界を創っているのだとしたら、好きに創ればよいと思います。どのような人生を創造するも、個人次第でしょう。

けれども面白いことに、自分の発するその意識の波長とそれに融合してくる波長はとても似通っているように思います。

依存する類は、誰かから何かを搾取することを目的として傾倒し、いざとなったら逃げますが、支配者も依存者の「数」を一時的に利用し搾取し、いざとなったら逃げます。どちらも同じ穴の狢です。生物は自分のためにしか生きないので、当たり前と言えば当たり前の在り方なのですが、せっかく群れるなら建設的な何かを創造する群れにいた方が面白そうです。それが叶わぬなら孤高を保つほうが断然幸福ですね。

もし、その意識下にあるのが「搾取」ではなく「覚悟」であったなら、逃げることなく生涯目の前の存在に対峙することができるでしょう。対象はヒトでも犬でも虫でも同じで、その極みが、研究者なのかもしれません。

個人的なお話をすると、私は時間の感じ方がどうもおかしなようで、幼少期、10代、一度目の結婚生活、二度目、三度の離婚と大まかに時期を分けても、まるで前世、現世、そして来世に突入したかのように永く感じています。仙人のような気分です。実際の年齢と、体感している時間にこうも差があると、他人と話が合わなくて困ります(笑)

過去に執着もしないので、余計にそう感じるのかもしれませんが、すべてを経験とし、体得し、現在の自分を創りつづけているような感覚です。記憶の中に映像も芳香も鮮明に遺っているのに、消え去った感情もあり、時に哀しくもなります。それに歓喜していたはずの自分は、もうこの世に存在しないのです。かつて価値があると思っていた多数のことがそうでなくなったりします。変わらないのは、小学生の頃に決めた人生の目的と目標くらいです。あの頃、自分の潜在的な欲求を読んで、死ぬまで飽きないことを決めたのです。心から過去の自分に感謝しています。

結局、今、目の前にある世界は、自分が選択し創ってきたものです。誰のせいでもありません。

私は、前世から来世まで生きたかのような永い永い時間と、様々な壁を乗り越えてきた体験の蓄積で、本当に面白い人生を創ったと満足しています。今後もそれを映画のように俯瞰的に眺めながら、システムに洗脳されることなくクリエイティブな時間を過ごしていきたいと思っています。

ファンタジーは観て楽しむものではなく、自分で創ってその中に生きるほうがずっと楽しいのです。

せっかくの命の時間、昨日のことは昨日で終わり、今日は今日を生きたいものですね。

 

真実は虚無 リアルはファンタジー

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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