折れない心のつくり方(自然治癒力を高める5 心)

自然治癒力シリーズを4まで投稿していますが、誰しも辛く悲しい心を回復させることは簡単ではありません。

私は多分、自他ともに認める「折れない」心を持ったジャンルのニンゲンです。

でも2011年、半年間毎日泣きながら布団に寝たまんまで家事も何もかも夫と小学生の娘がやってくれていた時期があったんですよ。世間でいうところの「うつ」ってやつでしょう。

ところがこれも自力で治してしまいました。なぜ、こんな風に治ってしまうんでしょう?

子どもの頃に決めたことがある 

まず大きな理由のひとつとして、生きる目的や目標を小学生の頃に決めていたことです。

これを本気で決めていたことです。

 

プロフィールの欄にも書かせていただいていますが、私にとって

真実の追求

無人島で一人で生き抜くような強さ

というのは、逆境の時に必ず脳裏に浮かぶことなのです。

 

また、何かを選択しなくてはいけないとき

核は愛であるかどうかが非常に重要な指標となります。

 

多分どなたも感じていらっしゃると思いますが、大抵の人は「損得」で動きます。

なのでこんなことを指標にすると、人生大損ばかりするかもしれません(笑)

でもおかげさまで幸福という点では、満足できています。

ただ、共生する動物であるニンゲン、知能が発達したと言われるニンゲンならば、損得抜きで助け合える人種がたくさんいても不思議じゃないのではと思うのです。

 

虐められていた時期があった私は、彼らが何が楽しいのかわかりませんでした。

私が病弱で休みがちだったからかもしれません。

誰とも話さないし、遊ばないし、そもそも体育も禁止されていたので遊べないし、マイノリティですからね(笑)

イジメなんてして楽しい人間に負けるのは面白くないなと思ったわけです。

 

だから、無人島で一人生き抜くような強さを持とうと思ったわけなんですね。

 

先生は、私が虐められても知らん顔でした。担任が何度かわっても。

 

 

親は嘘はつかなかったけれど、私が悩みを何一つ話さなかったので何も知りませんでした。

いつも一人で誰にも相談せずに解決しました。

他者のいうことは傾聴はするけど、信用はしません。

 

だから自分で生涯かけて真実の追求をすればいいと思ったわけです。

 

そういうことを小学生の頃に本気で決めたからここまで笑って生きてこれたのだと思います。

 

離婚していたとしても、子どもたちとは信頼関係は多分他のご家庭よりかなり強力で、三人の子どもは自分たちが何を望んでいるのかを自覚していて、小さなころから精神的に自立し、したいことをまっしぐらに追いかけるような人間に育ちました。少々無謀なところもありますが。

 

生きる力という点では、三人とも環境適応力が高く、精神的な強さも兼ね備えているので、私がいつ死んでも困りません。

 

子孫が自分の夢に向かって生きる力がある=幸福だとわかっているので、私には不安がありません。彼らも無人島に流されても諦めるようなタイプではないことは確かでしょう。

 

また私自身が、価値を置く基準が他者と異なっているため、自分の世界で常に幸福を見つけることができているわけです。

日々、考え続けるがあまり、アップデートも早く、昨日までの悲しみが今日は面白さにかわっていたりします。

 

 

 

客観的に視る

 

鬱の時は、原因を自分の中に探しました。

絶望を感じていたので生きる気力がなかったのですが、本当にそうなのか?と自問自答しました。

そしてある日、真逆の部分に視点を変化させました。

 

自分に他者がかけてくれた命の時間、我慢してくれたこと、誰かを傷つけてしまったかもしれない出来事など。

鬱からの脱却は

自分が選択したという自覚

自分の未熟さの反省からくる周囲への感謝でした。

 

その後は大抵の嬉しくない出来事も、最終的には価値ある出来事に転換できます。

 

責任転嫁してくる人、意地悪をする人、陰口をたたく人、妬む人、利用しようとする人などなど。

個人的には、面倒くさい人間がもちろん山ほどいました。

でも彼らがなぜそうしたがるのか?潜在的な彼らの思考は何なのか?などと考え続けると、個人に対する感情よりも、そこには気づきと学びが詰まってることがわかります。

 

真実の追求というテーマが大いに活躍してくれるわけです。

 

おかげでいかに人間が「思い込み」によって生きていて、自分のことすらわからなくなっているのか、そしてコミュニケーションがとれなくなって問題を起こしてしまうのかなどがわかるようになりました。

 

心理学などは一切勉強していませんが、子どもの頃からいつも考え続けた結果、私の頭の中で膨大なデータが蓄積されて、いつのまにか本質を見抜く力がついていたんです。

 

つまりは楽天的

小さなことにおいては変化は進化だと思ってるし、環境適応能力の高さは生命力に直結するので臨機応変に対応しますが、人生の大きなテーマは変えないようにしています。

 

小6の頃、医師に

「高校生くらいで、寝ている間に死んでしまう可能性がある」

と言われました。心臓が悪かったので。

じゃあ、

今日死んでもいいように生きよう

と思いました。

だから時に長期的に我慢が続くと、これに反していることになりますから修正するように努めます。

そして過去に拘るのはなるたけやめます。

 

つまり前に進むことです。

 

前に進むことを阻むものにこれらがあります。

 

執着・依存・嫉妬・見栄・虚栄心・承認・世間体・常識・嘘など

これらはなにひとつ、自分にとってプラスにならないように思います。

 

指標を

愛・地球・自然の摂理・原理原則・共生・種の保存・循環

などにすれば、大抵の個人の悩みはちっぽけでどうでもいことになるのです。

 

 

徹底的に現実を視る

 

これらは私にとっては徹底的に現実を視ることなのです。

 

そもそも生まれてきて生きる意味は?

 

食べて明日に命を繋ぎ、交尾して子孫を遺して死んでいく。

 

本来はこれでしょう。

 

交尾しない場合は種の保存に貢献するという手もあります。

 

なんでも意味付けしたいのが多分人間という生き物なのです。

 

何かを習いに行く必要はありません。

 

勉強も適度にしないと、それにかけた時間が惜しくて知識に傾倒しがちになります。

 

師匠の言葉は師匠の体験に基づくもので自分の言葉にはなりません。

 

研究してくれた過去の研究者や、実験として殺された膨大な数の動物には感謝と懺悔しかありませんが、知的好奇心すら、やり方を間違えると「過ぎた欲」でしかないというのが現在の私の気持ちです。

 

出来る限り、他の生命をおびやかさないような学びをしたいと思います。

 

わからないことはわからなくていい

 

所詮地球の一部でしかない人間がすべてを理解できることはありません。

 

わからないことはわからなくていいという潔さも持っていたいと考えています。

 

とまあ、個人的な意見です。

 

誰かに初めて会うたびに

「今まで会ったことがないような人」

「パワーが強すぎる」

「今日で人生が変わった」

 

などと言われますが、自分では何故そう言われるのか今もよくわかりません。

 

こんなだから「こいつは強いや」って思われて誰も助けてくれません。

 

だからさらに強くなります。

 

多分誰にもわかってもらえないので期待してません。

 

自分がどうこれを貫いて生きるか・・・・それだけです。

 

でも一応浮世に生きておりますので、種の保存のためや地球のためになるなら、お手伝いをさせていただきたいというのが願いです。

 

ニーズがあれば応えたいし、ニーズがなければ人間のあまりいない島に行きたいです。

 

自然と共生して生きるのもきっと楽しい。

 

だれか余ってる島があったら住まわせてください(笑)

 

2010年に息子が事故で寝たきりになった時、私が宣言した通り歩いたので、さすがに自分は何か人と違うところがあるのか?と考え始めました。

 

日本は「○○校」や「○○式」を出ていないと認められない傾向にあり、お金をいくら稼いだかを「結果」と呼ぶ風潮があるので、私は「結果」もでていないし、キャリアもありません。

 

ただ、昨今教育分野で叫ばれるような生きる力においての考え方は、私は一般的ではないストーリーを語ることが出来ると思っています。

 

これらのことは、真似する必要はまったくありませんが

もしも読んでいただいた方の心が、少しでも軽くなっていただけたなら幸いです。

 

今日もみなさんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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