セミナーで毎回する話があります。
皆さんは同じ母語を使っていても、その言葉の概念がそれぞれ異なっていることに気付いていないということです。
国語辞典などでは、一応わかりやすく日本語として誰かが説明してくれていますが、自分が育った環境下、つまり親などがどういう場面でその言葉を使っていたかで、言葉の意味をすり込まれて行くのが人間というものですね。
例えば、私の母は父との結婚を大反対されて一旦は別れたものの諦めきれず、父も何度も逢いに行ったそうですが親類縁者は終始一貫して認めず。
結果、母は自分が相続するはずだった家屋・土地・財産・自分の貯金通帳まですべて捨ててスーツケース一個で海を渡って大阪にやってきました。
なので、その話をいつも聞いて育った私の「覚悟」の概念は「すべて捨てる事」なのです。
ところが順風満帆、親にも可愛がられ大した苦労もなく、経済的にも余裕のあるお母さんが子供にこう言ったとしましょう。
「お母さんさぁ、覚悟決めてエルメスのバーキン買うことにしちゃった」
すると、その家庭の子は、覚悟というのはちょっと背伸びをして何かをする事や、大きな買い物をする程度のイメージになります。
こういった概念の異なる二人が仕事などで
「○○君これを君に任せたいんだが?」
「わかりました!!覚悟を決めました」
という会話をしたとしましょう。
上司が私のような覚悟の概念を持っていたら部下が絶対にやりきってくれるだろうと思い込んでしまうのです。
ところが、後者のような軽い覚悟の概念を持っている場合、簡単に
「すみません、やろうと思ったけど無理でした!」
と平気で投げ出すことになり、上司からの信頼は消え失せます。
機嫌が悪くなった上司に、現代ではハラスメントだという表現をする受け手も一定数存在しています。
実際、きちんと話し合ってみると単に言葉の概念が違っているだけだったりするのかもしれません。
育ちってとても重要なのですね。
私は、覚悟ある雄が好きなのだと思います。
女である母がすべてを棄てる勢いで父のもとに来て、本人が当初望んだとおり実際父と「死ぬまで一緒に」生きたわけです。病気で七転八倒していましたが。
ですから、私も共に生きる人には、潜在的に覚悟のある男を望んでいたのだと思います。
どおりで、誰と結婚しても同じはず(笑)
金ありきだったり、世間体だったりを気にするような家庭で育ったなら、そのような覚悟など持てるはずもなく。
唯一二号だけが母と同じようにすべてを棄てて私の元へ来たのであっぱれだと思って大いに期待したのですが、そもそもとっかえひっかえが好きな性質でして(笑)
皮膚常在菌や粘膜から持ち帰る菌が汚くて近寄ることもできませんでした(笑)
よって恋愛結婚は不履行となりました。
物凄く好きな相手がいますが、相思相愛になっても今のところ一度も覚悟を見せません。よって恋愛不履行(笑)
自覚しています。超変人な自分と一緒に生きるなど、相当の覚悟がいるでしょう。
一般の女性と生きるのとはわけが違うと思います。
下手したら心の声まで読まれるかもしれないので(笑)
時間の経過とともに、私自身の覚悟の度合いも大きくなってきました。
この覚悟をもってする雄がいらっしゃるなら受けて立つかもしれません。
清濁併せのみ、毒を食らわば皿までのような、光MAXと闇MAXを兼ね備えた方がいたなら、タオコードとJINを賭けてみても良いのかと思います。
いないなら居ないで森の精霊に同化します(笑)
自分で描くファンタジーはとても面白いものです。
決して哀しくない、つらくないというわけではなく、悲喜交々、自分の道の途上に起こるすべてが面白いのです。
自分の人生は誰しも自分が主役。
どうぞ、皆さんもたった一度の人生、誰にも真似できないような面白いファンタジーを創ってみてください。
真実は虚無 リアルはファンタジー
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