不倫という言葉ができたのはいつ頃だったでしょうか。
幼少期には聞いたことがない言葉でした。
今も昔も浮気は後を絶たず、政治家や芸能人などはやたらと取沙汰されますが、なぜ人々は他人の色恋沙汰が気になるのでしょう。
他国では何度も結婚することは大した問題ではなかったり、一夫多妻や一妻多夫の文化をもつ民族もいます。
高齢者の話では、満州国があった時代にも、日本に配偶者がいながらあちらで『夫婦』のような形で別の人と生活し子どもまでもうけ、何くわぬ顔で帰国し元の配偶者と生活を再開した人も多いそうです。
戦後の『赤せん』現在の『風俗』など、日本人と配偶者以外のSEXは切ってもきれないように見えますが、それは果たして私の勘違いでしょうか?
表沙汰にしなくても、会社内で、自治会内で、PTAで、すぐ傍で不倫している人のことを噂や直接本人から聴いて知っている人も少なくないでしょう。
ではなぜああやって気になって責めたくなるのか?
実は、本当は自分がそうしたくて我慢しているのかもしれません。
自分の人生を好きに生きている人は、基本的に他者の人生に一喜一憂しません。
生きる軸が他人ではなく自分なので、そんなことどうでもよいのです。
非難されている誰かをみて心がすっきりする人は、妬み嫉みにも見えるのです。
不倫はしていませんが、私は三度結婚しています。
あるとき私を
「気持ち悪い」
といった女性がいました。
「ああ、この人男が欲しいのだ」
「自分の人生を好きに生きてないから、羨ましくて他人の私に攻撃するんだ」
と思ったんですね。
嫌うとか批判するという行為は『憧れ』と強く結びついていることがあります。
そんな醜い顔して他人を嫉む前に、まず自分が好きに生きることです。
そうしたら自分の人生に納得できるので、他者を批判したりしなくなります。
問題は自分の心の中に抱える『嘘』です。
ニンゲンは基本的に自己正当化をするお話を考え、意味づけします。
かくいう私もそうでしょう。
もしも配偶者に飽きていても今の生活を失いたくないというなら、素直にそう話して浮気を公認してもらうか(そういう夫婦とお会いしたこともあります)、SEXなど単なる脳の電気信号だと割り切ってそこは捨てて、快楽ホルモンは趣味や運動、勉強などの別のことで得ることもできます。
それに相手を誰に代えても大差はありません(笑)
ニンゲンは広義では似たりよったりだと感じます。
SEXに重きを置くのか否か。
再度考え直してみてはいかがでしょう。
どうしても今の生活がいやなら、さっさと新しい人生を自分の手で創ればよいと思います。
世間体など誰かが僕を見てる!私を見てる!という自意識過剰の勘違いです。
動物は自分のためにしか生きません。
浮気でも本気でもその人の選択だと思いますが、この国で生きるなら、リスク管理として最低限『システム』にひっかからないように注意はすべきでしょう。
『絶対』なんて、生物の一種であるニンゲンが創ったモノにあるわけがありません。
『システム』は洗脳されるものではなく、ありがたく活用すべきものです。
必ず皆死にます。
明日死ぬかもしれないのに、何十年も先の存在するかどうかもわからない自分の老後のために今日を潰さないことです。
そのかわり、来るべき時が来たら潔く逝きましょう。
煌めく毎日の繰り返しこそ、価値ある人生なのでしょう。
今日も皆さんありがとう。
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