ニーズに応えることが本当の仕事だと思います。
ですからニーズもないのに自分から手を挙げるのは私の中では不自然な光景です。
たとえ片道の切符しか買えなくても、手元に300円しかなくても、私にしかできないと思ったことに関してはどこにでも飛んで行きました。
ボランティアであっても、めいいっぱい出来る限りのことはしたつもりです。
『奇跡は準備ができた者にだけ訪れる』の本を書いた当時、全く知らない方からよく相談の電話がありました。
ご家族が半身麻痺になった、全身麻痺になった、難病になった、癌になった・・・・・・
だから、どうやったら治りますか?っていうような。
また、見ず知らずの人に呼ばれて遠方まで無償で行ったにもかかわらず、私を罵倒する人もいて驚きの連続でした。
あの本は病気を治すための本ではないのですが、意味の分からない人は私の事を『ただで治してくれる便利な魔法使い』だと勘違いしていたのかもしれません。
ですが、ある一家族だけは違っていました。
寝たきりのお父様がICUに入ってらして、私は身内と偽って中に入りました。
70代で、もう歩くことはないだろうと転院を余儀なくされていたところでした。
その娘さんからの連絡で呼ばれたのですが、その方もお母様も私が話すことを真剣に聴いてらして、お父様ご自身も初対面の私がビジネスでも何でもなく駆け付けた意図を理解してらっしゃるようでした。
ご家族の一体感、愛情、どうしても自宅に帰ってほしいという強い願い。
すると2週間後に
「無事歩いて退院できました」
とお礼の連絡があったのです。
私を呼んだ他の人々は誰もそのような結果にならなかったので驚きました。
そのご家族には、初めから強く愛と感謝の気持ちが視えていました。
ですから、私の手法は単に彼女たちを動かすきっかけに過ぎなかったのだと思います。
あの本の意図をきちんと理解してくれて、私を呼んだのだと思いました。
ビジネスでも成功されているご家庭で、なるほどと納得した次第です。
私と永く暮らしていても、家族や友人でも、あの本の意図を理解できる人は殆どいません。
結局、生まれ持った波長が私と同じような方と出会うか否かのツールが『奇跡は準備ができた者にだけ訪れる』であり『MAHIRO思考』であるのかもしれません。
先日20代の人たちが数人『MAHIRO思考』を読んでいて
「難しくてわからない」
と言ったのです。
(2冊とも小学校高学年の子が読めるように書いてありますので、大人には簡単なはずです)
言葉ではなく、読解という意図での『難しい』だったのかもしれませんが。
どちらの本も意図は同じです。
いつも参加している研究会で、在る時その意図を理解された方と出会いました。
「この中にはあなたを広めることができる人が何人もいるけど、本気でそのために動く人は残念ながらいるかどうか・・・・・」
なんていうか、そういうのとは違うのです。
無理に広めるモノでもありません。
波長が合わなければ、日本には必要ない、もしくは縁がないというだけのことなのです。
途上国に何ヶ国も行き現地の人々から話を聴いてきた中で、同じような世界観を持つ人は確かにいました。
もし、海や土や山が誰かのものだという線を引かれていなければ、今ここに私はいなかったでしょう。
誰かと出会うたびに、
「この人と共に何か仕事ができるか?」
でジャッジしてきました。子供から高齢者まで。
私が求めているのは『共に仕事ができる人』です。
中学生の頃から仕事をしてきた私には、ずっとそうです。
その『仕事』は一般的な人が考える所謂『ビジネス』とは似て非なるもの。
人生が仕事みたいなイメージです。
拙著を呼んで意図を理解してくださる方、同じような世界観の方がソウルメイトだと思っていて、阿吽の呼吸で道を進んでいくようなイメージです。
ですから仕事のパートナーが結局、夫婦のようなものだと考えています。
いるのかなそんな人(笑)
私は未だに独身です(笑);3回も結婚してますが
今日も皆さんありがとう。
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