いつも笑顔で爽やかな挨拶、家族は仲が良さそう……そつなく仕事をこなし、生活も困っていない、この国ではそういう人々は多いのかもしれません。
生涯その人になんの問題もふりかからず、お金はサクサクまわり、病気にも罹患せずに、いずれ死を迎えたなら気づかないかもしれません。
しかし、人生には悲しみと傷みはつきものです。
よく出来る管理職が部下をわざと落とすことがあるけれど、あれは部下の言葉が本当なのかどうか確認する最短の方法だからですよね。
人は窮地に陥ったとき、本性をあらわします。
キャパが大きくない人は、窮地に陥らなくてもちょっとしたストレスで本性をあらわしますが。
自分の人生が大きくマイナスに転じてしまいそうなとき、その人が何をしたかで容易にわかることがあります。
そのような場面になっても、普段の言葉通り変わらない人もいます。
自分にマイナスがふりかからなければ、誰かが困ったときも大抵は優しい言葉をかけることができるものです。
夫婦であっても、妻を置いて自分だけ逃げる男もいます。
親であっても、我が子の不出来を他人に責任転嫁する人もいます。
窮地に立たされた時、果たしてその人がどう生きているのか……
それがその人の本性です。
言葉はどうでもよいのです。
感謝やありがとうという言葉を発しても意味がなく、大切なのは生き方そのものなのです。
言葉ではなく、その人が誰を大切にしているのか、何を大切にしているのか……
長男が下半身不随になったとき、周りの人々の行動を見ました。
息子も同様に周囲の人々の行動を忘れないでしょう。
あれは、確かに私達家族にとって窮地でした。
父が半身麻痺になりました。
息子のことを乗り越えた私にとっては、窮地でも何でもないのですが、父にとっては窮地なんでしょうね。
ですが、あまり変わりません。
迷惑をかけたと泣いて謝るばかりです。
介護だって老いた自然の流れだと思えば当たり前のことです。
自分から施設に入ることもあるでしょうし、家族がみることもあるでしょう。
現在はまだかろうじてすべてを自分が負担しなくても済むシステムが機能している国で有難い限りです。
息子の介護の時もそうでしたが、結局はその人間性が露呈するだけなのだと思います。
不倫をしたときなど、幼稚園児でも見抜けるような言い訳をする人もいれば、潔く個人の恋愛になぜ他人が口をはさむのか?と問うこともできます。
金の切れ目を縁の切れ目として、家族であっても利用して捨てるようなことをする人もいれば、助けようと駆け回る人もいます。
勉強のできない子どもや、自分の気に入らない相手と結婚した我が子にどう向き合うのかなど、源を無視した責任転嫁には開いた口が塞がらないことはあるでしょう。
それを自分にも問うとき、自分の愛が本物なのかどうかさえ簡単にわかります。
愛する存在に囲まれて生きる人生は、とても幸せです。
所詮は地球にわいてきた生物同士ですからね。
他に倣うことは山ほどあります。
動物は自分のためにしか生きません。
徹底的に自立し、セルフコントロールや自分の身体のメンテナンスまでして、誰かの意見などに影響されないココとコニーサンとその子どもたちから多くを学びました。雄同士は出会ってしまうとすぐに戦い始めますが、微塵も嫌いになりませんでした。徹底的な利己である強い彼らには畏敬の念さえわきました。殆どの仔は老衰のため介護も必要でしたが、夜中に呼ばれて眠い日も続いても、やはり最期の瞬間を一番愛していました。
眠ったような母の顔を見ながら、やっぱり最期が一番好きだと思いました。
「長生きしてくれてありがとう」
せっかく生きるのなら、そんな風に言える関係で世界を創りたいものです。
本性が露呈しても愛し合える関係って素晴らしいですね。
今日も皆さんありがとう。
今日も皆さんありがとう。
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