動物にもニンゲンにも争いはつきものなのでしょうか。
時に男に負けたくないと言う女性もいますが、男性も母体の血液やホルモンなどで造られるのだと考えてみると勝負以前の議論です。
一般的な動物が持つ母親に対する恋慕は、自分を造った者への自己崇拝みたいなものなのではないかと思うことさえあります。
私は親に対する恋慕よりも、ずっと遡って自分の母は地球だという感情が強かったように思います。
また、生命力とは言い換えれば自立力でもあると思います。
それは、齧歯類の彼らに教えてもらいました。
とても短い一生だけれど与えられた環境で精一杯生きて、自分のことはすべて自分で行い、半身麻痺になっても這ってでも動き、腫瘍ができても自分で噛み切って吸い出し、敵か味方かを己だけで判断し、嘘をつかず真っ直ぐに死ぬまで動き続けます。
人間はどうしたんでしょう………
他人の意見に一喜一憂し、自己選択や決定ができない人もいます。
自分を守ることができない人もいます。
自分の人生なのに、奴隷のように誰かに言われるがままの人もいます。
恋愛においてもつきつめるならそれらは『動物的な交尾』で『強い子孫を遺したい』欲求かと思われ、モテることと生命力の強さは大きく関与しているのかもしれません。
けれども現代社会では決して皆が自立心や生命力の強さを求めているわけでもなさそうです。
他者の時間を奪い関与してもらうことで(依存)愛情確認をするという、自立とはかけ離れた大人も少なくありません。正誤を決めつけ、なんでも他者に肯定されないと牙をむく人もいます。
彼らの生命力が強く見えないのはなぜでしょうか・・・・。
自分ばかりにフォーカスすると却って孤立し、群れ社会では排除されがちになります。逆にあまりに他者に合わせすぎると、潜在的な不信感を相手に与えてしまいます。
なぜなら、基本的に動物は決して他者のために生きたりしないからです。
生命力を基準にして世の中を視てみると、支配の構図やカリスマ性、恐怖心など、面白い見方ができます。
もはや原始的なものが失われた地球では、そこからのリスク管理をした将来を吟味することが生命力の高い人の選択なのかもしれません。
今日も皆さんありがとう。
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