流れに乗る

『流れに乗る』という言葉を、少し違って捉えているの人が多いのではないかと思います。

ここでは、ビジネスなどで「流れに乗りましょう!」的な扇動をして、上手く人を動かすような、誰かの思惑にまんまとハマるようなことではなくて、自分の一生の流れという流れの事を指します。

歴史的な時代の変遷など、ニンゲン全体の大きな流れも同様です。

これに抵抗すると何かがしっくりいかないように思います。

例えば死に関して、僅かな選択の差で予定より早くなったり遅くなったりはするかもしれませんが、必ず訪れることなので、それに抵抗し操作するよりも、満足できている人生かどうかにフォーカスする方が賢明です。

他者の動きに一喜一憂して生きる人は、年中誰かの顔色ばかりうかがって生きた心地もしないでしょう。

だからといって抵抗してばかりいる人も、常に不満を抱え、瞳がキラキラするような生涯を送ることがないような気がします。

私の思う『流れに乗る』とは、例えば予定外の面倒な問題がふりかかったときにそれを受け容れる決意や、道が拓けたとき勇気を出してその中に飛び込んでみること、自分を必要だと感じている人に呼ばれて会ってみること、お願いされた仕事を引き受けることなどでしょうか。

 

例えば誰かに仕事などを

「お願いします」

と頼まれたとしましょう。

面倒だなと思ったり、忙しいのに嫌だなと考えたりするかもしれません。

でも、ひと呼吸おいてイエスと言う。

それが流れに乗るというイメージです。

初対面の人と会うことや、大きな問題を解決すること、やったことのない仕事を引き受けることなど、ある種の緊張とリズムの変更が伴いますが、その自分の想いは脇において、純粋に他者のニーズに応えてみるということです。

ただし、なんらかの形で自分を利用しようとする人の想いは、感覚を研ぎ澄ませていればすぐにわかります。

それをニーズとは言いません。敢えて会って話を聴く場合もありますが、大抵は無駄に終わります。

自分の命の時間を削ってまでそれを提供するのだから、そこを考えられない人に命をわざわざ与えるのならば、家族や社会のためにその時間を割く方がよいと私は考えてしまいます。

ニーズに応えるという、そのニーズには純粋さが伴うのです。

誰かを利用しようとする誘いはニーズではなく搾取です。

その違いは明確にしておいたほうが良いでしょう。

営業でも、自分の売上を増やすための言葉と、本気で相手に良いと思って勧める言葉は全く違うはずなのです。もちろん動物は己のためにしか生きないので、お金のためであってもWIN&WINなら納得できます。それ以外は詐欺との違いが判りません。

また、自分からしゃしゃり出て肩書を得ようとしたり、推薦ではなく自ら試験を受けて管理職になったりする人が、実は周囲からのニーズがないというのは皆さんよくご存知だと思います。そういうことは自分の流れではなく逆に抵抗となり最終的には思ったようにはいかないはずです。

ニーズは、自分以外の第三者の意見でしか計れないものです。

そうして自分の想いと与えられる役割との差異を埋めて、そこに応えられるように自分を律していると流れに乗ることは容易です。

たとえ誰からのニーズがなくても、個々の存在に敬意をはらってさえいれば、本来他者を助ける必要などありません。

生まれてきたものは自分で生きる力を持っているもので、それがないものが先に倒れていくことになるのが自然の摂理だと思われます。

ただし群れで生きる私達は、他者と助け合うことで生存率を上げているところもあるそうなので、誰しも与えられた役割はあるはず。

そこに優劣や善悪を決めつけず、損得を計算せず、イエスと言ってみてください。

あなた自身の人生の流れに乗れるかもしれません。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

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