流れに乗る

大多数の日本人は「流れに乗る」という言葉を、多分、違って捉えているのではないかと思います。

ビジネスなどで、全体の流れに乗りましょう!的なマインドコントロールをして、うまく奴隷を動かす場面に出くわしますが、あぁいうの、流れに乗るって言いません。

誰かの思惑にまんまと乗るようなことではなくて、自分の一生の流れというものがあると思うのです。

歴史的な時代の変遷などを通過することなども含めて。

これに抵抗すると何かがしっくりいかないように思います。

例えば死に関しては、僅かな選択の差で予定より早くなったり遅くなったりはするかもしれませんが、差はあっても必ず訪れることなので、それに抵抗し操作するよりも、生きている間に満足しているかどうかにフォーカスすることが賢明です。

人生を通して、他者の動きに一喜一憂して生きる人は、年中誰かの顔色ばかりうかがって生きた心地もしないでしょう。

だからといって抵抗してばかりいる人も、常に不満を抱え、瞳がキラキラするような生涯を送ることがないような気がします。

私の思う「流れに乗る」とは、例えば予定外の面倒な問題がふりかかったときにそれを受け容れる決意や、道が開けたとき勇気を出してその中に飛び込んでみること、自分を必要だと感じている人に呼ばれて会ってみること、お願いされた仕事を引き受けること、などです。

ただし、ここにお金とセックスが絡むと曇ります。

なんらかの形で自分を利用しようとする人の想いは感覚を研ぎ澄ませていればすぐにわかります。それはニーズとは言いません。敢えて会う場合もありますが、大抵は無駄に終わります。

自分の命の時間を削ってまでそれを提供するのだから、そこを考えられない人に命をわざわざ与えるのならば、家族や社会のためにその時間を割く方がよいと私は考えてしまいます。

ニーズに応えるという、そのニーズには「純粋さ」が伴うのです。

誰かを利用しようとする誘いはニーズではなく「搾取」です。その違いは明確にしておいたほうが良いでしょう。

営業職やネットワークビジネスの経験があればわかると思いますが、売上を増やすための言葉と、本気で相手に良いと思って勧める言葉は全く違うはずなのです。

例えば自分には簡単にできるけれど他者にはなかなかすんなりといかないことなどを「お願いします」と頼まれたとしましょう。

または、どうしても自分に会いたいという愛のエネルギーを感じたとしましょう。

面倒だなと思ったり、忙しいのにと考えたりするかもしれません。でも、ひと呼吸おいてイエスと言う。

それが流れに乗るというイメージです。

初対面の人と会うことであれ、大きな問題を解決することであれ、やったことのない役割を引き受けることであれ、自分の現在の想いは脇において、純粋なニーズに応えてみるということです。

自分から出しゃばって肩書を得ようとしたり、周囲から薦められるのではなく、自ら試験を受けて管理職になったりする人が、実は周囲からのニーズがない、というのは皆さんよくご存知だと思います。そういうことをしても流れには乗れないと思うのです。

ニーズがあるかどうかの判断は、自分以外の第三者の意見を常々真摯に聴いていればわかります。

そうして自分の想いと与えられる役割との差異を埋めて、そこに応えられるように自分を律していると流れに乗ることは容易です。

もしもニーズを感じないとしても、セルフコントロールさえできていれば何の問題もないでしょう。

個々の存在に敬意をはらっていれば、本来他者を助ける必要などありません。生まれてきたものは自分で生きる力を持っているはずで、それがないものが先に倒れていくことになるのが自然の摂理だと思われます。

ただし群れでいる私達は、他者と助け合うことで、生存率を上げているところもあるので、誰しも多かれ少なかれ役割を感じて流れに乗らなければならない場面に出くわすことはあるでしょう。

ここに、優劣を決めず、善悪を決めず、損得を計算せず、イエスと言ってみてください。

あなたの人生の流れに乗れるかもしれません。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

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