リンジーとピティが凄く好きだった場所。

なんでもそうだけど、やるべきことはやって、相手にはおつりがくるくらいに与えまくっておいた方が、こちらに後悔はない。

地球への抵抗は決して幸福を産まないから素直に流れる方が良い。

一般的な常識を気にして、ブレーキを全力で踏み続けたあの頃、当人は消えて同い年の別人が目の前にいる。

壁を乗り越えずに逃げると生涯その向こうに行けることはない。
自分の道は沢山あるのではなく実は一本しかないように思う。

抵抗して道を開拓したかのように思っていても、先は必ず行き止まり。来た道を戻るしかなくまた同じ壁の前に来る。でも時間が経過して世界は変わっている。
逃げ続ける人はこれを永遠に繰り返す。

殆どの壁を乗り越えてきたから知っている。
壁の向こうの景色はいつだって美しい。

世界が変わり、自分が何に間違ったかも自覚して進化した今、次はその壁を乗り越えると決めている。

行き止まりの路からの帰還。
私にとっては男を信用するなんてことが人生であり得ない壁(笑)

でもたとえ抵抗の先にあった行き止まりからの壁だったとしても、その往路復路で得たものは二号の時の「違いを認める」修行から、同居人との修行の方が断然大きく(笑)

私が地球に沿うYESMANでいたいと思うところまできたことも、幼児期に目指した世界へ近づいたのも、逆説的だけど私と真逆の生き方で育っている同居人のおかげであり、子供の頃から視ることが無かったジャンルの人々への仮説は立証され、かつ私の生活の質を保つために仕方なしに知恵を出し、気づけば電気ガス水道が止まっても「別にっ」って言えるくらい、人間への執着も社会への欲求もなくなっている(笑)

だけど彼がつないでくれた重要な場面は幾つかあって。

世間ではもはや私が彼に何の恋慕もない事は見てわかるレベルだけど、娘は実父よりも彼に相当助けられてきた。他人なのでもう甘えるのはよしてほしいと娘には言い続けている。
娘に田舎について来いと言った覚えは全くない(同居人にも同様)ので、本人が好んでここにいるわけだけど、娘の年齢には子もいて自営で独りで仕事をしていた私からすると、さっさと店の再開をして独りで喰っていきなっていうのが本音。それが出来た結果、あえて、大家族で役割分担して自由時間を確保するために最低限の働きで楽しんで生きて逝くのは大いにありなんだけど。

どこぞやの経営者のご家族を怠惰にするために朝から晩まで隷属するなら仕事も喰うものも着るものも自分で作って、よく映画などで見る昭和戦後のように同じ屋根の下、他人でも一致団結できる少数精鋭のメンバーを群れと呼び、身土不二の考えでその地域の野生に溶け込み、ゴミは作らず出来る限り捨てて、作るなら天国を創った方がエネルギーの使途としては有意義である。

それに「人のため」って言うニンゲンはいつも「自分のため」であるから信用しない方がいい。自己の潜在意識を読み取るときもそう。結局自分の何かを満たすため。
徹底的にリアルを視なければいけない。
助けが必要だと思うなら、そんなものが必要にならない世界をまず自分自身が構築しなくてはならず、その後周囲の人間たち、地域、国、世界へと拡大するもので、自分で自分のことすら出来ないニンゲンが人のためってのは偽善である。

動物は自分のためにしか生きない。

この自分の為ってのがサピエンスに於いては、地球の癌細胞的なことなのかそうでないのかによって逆方向の動きになるけれど。

光MAXも闇MAXも無限大マークの中心部。どちらにも転じる。

だからこそ二者択一の膨大な選択をどうかサピエンスらしく「賢く」決定しよう。

お話は自分で創ろう。
どうせ真実は虚無なのだから(笑)

万物に愛を

Pocket

0 comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です