人をコントロールしたい人

その人の世界観は、その言葉に表れています。

「あなたは騙されている」とか「騙された」という人がいますが、あれは、「人が人を騙す」という世界観を持っているからそう考えて言葉にしてしまうのです。

つまりその人も何らかの嘘をついて周囲を騙しているということになります。

例えばいつも周囲に「綺麗事」を言って生きているとか・・・・・・。

善悪や優劣を決めない人は、生き物にはそれぞれ価値があると思っているので嘘をつく必要がありません。

綺麗に言って隠さなければいけないような心の声が無いのです。

私は3度結婚していますが、両親は一度も私に「あなたは騙されている」などという言葉は使いませんでした。

私も息子や娘の彼女や彼氏ができたと訊いても「騙されている」などとは考えもしません。好きになってくれて感謝はしてもです。

そもそも私には自分で選択し判断できる頭がありますし、子ども達にもそれはありますから。

けれども3度の結婚で3度とも相手の親は「騙された」という言葉を使いました。年下の女に騙された、年上の女に騙された、私は0歳でも80歳でも騙す側にまわされるのだと自覚しました(笑)

でも彼らは自分が育てた子どもをバカにしていて、育てた自分をも信じていないのだとはすぐにわかりました。

 

コントロールしたがっている人も同様で、普段私に笑顔を振りまいている肩書も地位もある人が、旦那や若い友人たちに私が居ない時に度々言ったそうです。

「あの人に指示されたのか?」

「君がどのくらい変わるかで、あの人の力を信用する」

「どうせあの人の言ってることは綺麗ごとでしょう?」

・・・・・・この人たち、旦那や友人に脳みそがないと思っているんですね(笑)

彼らを劣性だと決めつけているのでしょう。

私の目的が、彼らをコントロールすることだと思い込んでいるのかもしれません。

それはとりもなおさず、彼らが他者をコントロールしたがっていることを示唆します。

また、友人や旦那たちがどのくらい私と信頼関係があるのかを分かっていません。

つまりその人々は信頼関係を家族とも築けていないということになります。

お互い好き嫌いは大いに言い合いますが、それは相手の否定ではありません。お互いの価値観の議論です。

結果、どうしても居心地が悪くなったら消えるでしょう。

彼らは私の両親の遺伝子は持っていませんし、彼らの親は私達とは全く違う生き方をしています。

彼らの祖先の選択と判断によって造られた細胞を、私が変えようとしたりすることはエネルギーの無駄遣いです。

食事である程度身体を良い状態に保てても、顔が変わらないように脳細胞も変わらないのではないかと思います。

 

考えてみてください。

コニーサンは私に言われたからケージを噛んだわけではありませんし、壁をかじったわけでもありません。

雀は私に言われたから餌を取り合いするわけではないし、ゴキブリは私に言われたから部屋の端を走るわけではありません。

旦那も若い友人も、自分の考えがあって何かを選択し生きています。

それらは私とは異なる価値観で、どちらかと言えば自分とは優先度が異なる彼らの考えはあまり好きではありません。

しかしながら彼らの生き方は彼らが決めるべきものです。

彼らに価値がないわけではなく、どんな人にも持てる才能は必ずあるのです。

それを自分が見つけられていないだけかもしれないのです。

消えてくれと私が言ったところで、別れた旦那たちがまだ傍にいるということは

「地球が決めていること」

でしょうから私ごときに逆らえることではありませんし、傲慢にも彼らをこの手で変えようなどとも思いません。

必要なければ淘汰されるでしょうから、しいて言えばそれを待っているだけです(笑)

自分の目の前から消えた人は、自分にはもう必要ないというだけのことなのだと捉えています。

逆に消えてほしいと思っても消えない人は、自分にまだ必要なのだと考えます。どんな形であれ。

 

ですからコントロールしたがる人の思考は私には理解できません。

誰かの人生を支配しようとするのはなぜなのでしょうか?

孤独への恐怖なのか、自分が納得できない人生を送ったゆえの他者への妬みなのか、もしくは優劣をジャッジし過ぎた自己の劣等感からの承認欲なのか。

強制的に身動きできなくしたり、武力で身体を潰したり、果ては命を奪ったとしても、相手の心は、そのコントロールしたがる人に全力で抵抗しているでしょう。家畜であったとしてもです。

フランクルやネルソン・マンデラがわかりやすいですね。

誰も彼らを支配できませんでした。

自分が別の生き物を支配できるなどという幻想は私には無駄なエネルギーに思えるのです。

ですがたとえそれが、そうでない人々からは、他の生き物をバカにした傲慢なニンゲンに見えたとしても、その傲慢な生き方がとても心地よい人もいるのだと思います。選択は自由ですからね。

 

ただ、私はそれを好きではないというだけです。

 

生き物は気づけばひとりでに変わります。

気づかない人はそれでいいのです。

ニンゲンは決して優れている生き物ではないと私は思っていますから、優劣ではなく好き嫌いで話をしたいと思います。

 

 

あなたの人生はあなたのもの。

他者の人生は他者のもの。

私の人生は私のもの。

それが一時期一致したときに傍らで生きることになる、ただそれだけでしょう。

 

すべての人が自由であれ

すべての生き物が自由であれ

どうか地球がちょうどよいバランスで生きていけますように・・・・・・・

 

今日も皆さんありがとう

 

 

 

 

 

 

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