心と言葉

世間は多分お盆で長期休暇中の方も多いのではないかと思います。

心に余裕のある、そのようなときに考えたいのが、誰に、そして何にありがとうを伝えるのかということです。

 

いつまでも親が生きているかのように思い込む大人は多いものです。

両親も介護が必要な年齢になり、いろんなことを手伝いながら、かつて心配をかけたことを何度となく思い出したりしました。

今まで子どもたちが我慢し受容してくれたことも数限りなく、夫たちがしてきてくれたことも同様です。

また、数えきれない人々が我が子を助けてきてくれたことでしょう。

そしてここまで命を繋いでくれた先祖や、自分や子孫の中で循環している殺されたすべての生命の存在にも懺悔と感謝です。

過去すべてに関わった多くの存在は私に叡智を与えてくれました。

土や虫、そしてうちに居た亀も金魚もハムスターたちも確かに一緒に生きていました。

そう考えると、この世はありがとうで溢れています。

自分が生きている限り、ありがとうを言わなければならない存在は今後も増え続けるのでしょう。

「ありがとう」を忘れた人々の心はとても悲しいものです。

本来動物は、食べて出して交尾して寝て、の繰り返しで命を循環させていればよいものです。

わざわざ他者を助けたり、命の時間を費やす必要はありません。ですが、そのような無償の行いを目の当たりにすることがあります。

それを当たり前だと捉えてしまうような生き物ならば言葉は必要なく、食べて出して交尾して寝て縄張り争いや食べ物の奪い合いをしていればよいのでしょう。

日本語の中には存在しなくてよい言葉がたくさんあるように思います。

心がありがとうではなく、逆の方向に働くとき、愛し合う世界にはまったく必要のない言葉が山ほど使われます。

そういう言葉は永遠に消えてしまう方が良いですね。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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