救世主

このホモ・サピエンスが台頭する世界で、救世主が現れるとするなら海と空と緑が溢れる孤島で、鳥と語らいなら、果物を分かち合い、静かに眠る環境を創ることができるような、とてつもない想念を持った生命なのでしょう。

それは人間でなくても構わないし、宇宙からの到来物でも構いません。

システムは自分で判断できない人のためにあるもので、自分のメンテナンスができる人には本来必要のないものです。

本当は生きるも死ぬも本人の責任と考えられるので。

生まれた命は自然淘汰されるのに、必要以上に死を恐れた抵抗する力が、地球上の負の連鎖を創っているように思います。

過ぎた欲は常に美しくはないもので、それが集まりこの世界の哀しみを創っているように見えるのです。

人間たちの欲で、食べるためではなく巻き込まれて殺戮されている他生命には懺悔のしようもありません。

明日食べるものがあるのに食べ過ぎてダイエットなどをすることや、金儲けのために他生命を閉じ込めたり殺し過ぎることや、老化を必要以上に怖れ、外見を取り繕ったり、優位に見せるためにブランド物を身に着けてみたりすることにエネルギーを使うのは、本能と知識が交錯し判断のできなくなった成れの果てかもしれません。

果ては空は誰のものとか大地が誰のものとか宣い闘い始め……それも視点をかえると、猿や雀の縄張り争いや食糧の奪い合いと同じなのかもしれません。

システムを洗脳させた上でのシステム上の弱者を弱者と定義して、食糧や土地を独占したり搾取したりすることで格差が生まれるのは、我々も動物たちとなんら変わりないとしたら、弱肉強食という自然の摂理に則り、単なる生物である以上避けては通れない道なのかもしれません。

ただ、子孫が生き残ったからといって、種として存続できるほどに、その強者と定義される者の生命力が強いのかどうかはまた別の段階に来ているようにも感じます。

自分で判断するための感覚器が弱くなり、病気という名の不具合があちこちで起きているという話が本当ならばの話ですが。

トウモロコシや大豆は植物でありながら、人間を使って世界に拡大したといわれています。人間より賢い生き物ですね。

ネズミやゴキブリも同様に賢いでしょう。

ハムスターが回し車を見ればいずれ皆走るように、向日葵の殻を教えなくても剥くように、皮膚の色が白くても黄色くても黒くても、国という境界線をこえてもこえなくても、多分ニンゲンに大差はないのでしょうね。

 

縄張り争いって楽しいのでしょうか?

独占することで、未来は何に繋がっていくのでしょうか?

食糧自給率が低いならビルを建てるのではなく、潰して皆で作物を育てれば良いのではないでしょうか?

猜疑心を持つのなら先ず自分から正直に生きることが近道ではないでしょうか?

 

などと考えてしまい、人々が何に向かっているのかいくら聞いていてもさっぱりわからない状態です。

 

だからイチ抜けたと言いたいのですが、自由にアカウント削除ができないこのシステムにうんざりしています。

マイノリティは劣性と定義しています。

長いものに巻かれない生き物の救世主は、きっとその者自身しかいないのでしょうね。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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