まだ幼稚園児だったころテレビで観たアニメ。
都会の下町に生まれた私。
その時に持った疑問。
「あれ?このまま生きてればよくない?何のためにアスファルトで塗り固めてんだろう?ニンゲン」
小学生になってから観た実話ドラマ、ルーツ。
「あれ?名前を変えたんだな。国民とか社員に。誤魔化すためかな?何を?」
無人島で生き抜く二人の映画。
「何を教えられなくても生物は必要なことを本能で知っているはず、やっぱり!!ではなぜ勉強を?」
小学校の理科で様々な生き物がいて人間が偉そうにしている世界を目の当たりにして
「人間は生物の中で一番ばかなんじゃないか?」
中学生の頃、英語の教科書で知ったAMISHと周囲の大人たち。
「今更原始人には戻れなくても、この程度で生きることがとても平和で裕福に見える。便利ってなんだ?脳がばかになりやしないか?」
高校生から成人するまでに起きた数々の大きな事故やニュース。
「説明をきいてもよくわからない。理由がよくわからない、どうやったら自分の頭は納得するのだろう?」
でもこれらは全部個人的な問題。他人の価値観と自分が異なることは子供と遊んでも面白くなかった1歳の自分が既に知っていた。
小学生の頃に生きる目標を
「無人島で一人で生き抜くような強さを持つこと」
としたのも、生きる目的を
「真実の追求」
としたのも私だけの思考。
誰も賛同しなくていいし、傾倒されるのも嫌悪。
あなたはあなたの脳で考えてほしいというのが出会った人に対する率直な意見。
それでこそ出会った価値がある。
異なるから学びになる。
二十歳で産んだ息子に側弯が起き、川崎病になった。
「30品目の食事、合成洗剤も使っていないのに医者は合成洗剤のアレルギーという。なんで?本当は何が原因?」
自分を責め続けた。息子のせいでないことは100%、つまり私もしくは遺伝的要素なら相手本人と親先祖、私本人と親先祖のせいだ。でもこれは自然現象ではない。
原因が必ずあると思った。
学校でも仕事でも、結婚でも、自分が追い込まれると私に責任転嫁してくる人々が多いことに気づく。
なぜか下手な虚構で。
「なぜ虚構を作ってまで責任を回避したいのか?」
と冷静に相手の顔を眺めた。
そして自分なりに出した答えはこれ
責任感とは他者に対する愛であり、責任転嫁は自分の心のバランスをとるために目の前にいる絶対報復しないであろう人間に故意に擦り付ける行為。
つまり無人島なら誰かに責任は感じない。そして相手がもしもスキンヘッドで顔に傷が入っている大柄の人(本当は優しい隣人であったにしても)ならしないよねって思った。瞬時にそこを判断して故意に擦り付ける所業なんだって思った。責任転嫁される人は、舐められてるとも、善人だと判断されているともいえる。
こんな風に、生まれた時からたくさんの疑問を持ち、ニンゲンがそれぞれお話を創っていることを周囲の大人をみて確認し、どれも信用できないから誰かの意見は採用せず、自分で答えを探して検証し続けた。
そしてここにきて、次々に答えが見つかり、ひとつひとつ納得できスカッとしている。
栄華を極めたものは衰退する
MAHIRO思考の中の一説。
残念ながら私は、衰退している生物として生まれてきたのだと思う。
生まれたものは死ぬし、抵抗してもいつかは終わるし、絶滅もする。
自然の摂理に逆らえば逆らうほどに顔が歪む。
動物は自分のためにしか生きないということを人間やゴキブリや蚊にも教えてもらった。
誰かが助けてくれる・・・・・わけはない(笑)
自分が誰も助けないのに誰かが他の命を助ける必要がない。
地球は循環だ。
義務教育は疑問の源であった。
真実は虚無 リアルはファンタジー
これは40を過ぎやっと得た考え。
ファンタジーがリアルになるとき、それはいつも誰の目にも見せられるものとして存在する。
誰もそれを視ていないとしたら、創作の質が良くなくて、まだ現実化されていないかもしれない。つまり虚構だ。
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