採用

人間が話していることは間違いなく『誰かが創ったお話』で、そこに本来正誤も善悪もない。

どのお話を採用するかは自分で選んでつかみ取っているので、何が起きても誰のせいでもない。妥協の分量の差異はあっても、いまこうしてPCやスマホなどを使っているということは、誰かの創ったシステムというお話を採用し、使わせていただいているという状態。

 

何かにつけ強制されたと責任転嫁するニンゲンがいる。物理的に鎖でつながれ引っ張って行かれた際には『強制された』という言葉を使えるかもしれないが、そうでない場合は自分で誰かのお話を採用した結果なので誰のせいでもない。子供の頃、図書館に並んだ絵本から、好きな絵本を手に取るアレと同じ。人それぞれ好きなものをチョイスしている。

 

他人の作ったお話を採用し、利用し、そのように行動した時、ライターのファンタジーはノンフィクションになるのだ。もしも誰も採用せず、皆がクリエイターになり、質の良いお話を描ければ、世界には多種多様なシステムが混在したと思われる。

先住民のように空や海は誰のものでもないという人が60億人いたらどうなったろう?

そうならなかったのは個々がそれは誰かの物で、もしかしたら自分のものになるかもしれないというお話を採用したからだ。ネットワークビジネスで実際に動きまくって儲けた人がいて、自分が何もせずに天から金が降ってくると思い込んで始めるあの依存心とよく似ている。自分が行動せずに誰かが何かをしてくれるというシナリオは自然の摂理には無い。

楽をしているように見える人も、陰で苦労をしてきたかもしれない。また、恐怖で死ぬまでびくびくしているのに必死で隠して強がって、生涯心から笑うこともできない人生を送っているかもしれない。自分の採用した『誰かの創ったシナリオ』の中で、雁字搦めになって埋もれて死に逝く人もいるだろう。誰が知ることがなくても、懸命に生きて幸福に命を終える人もいるだろう。

私たちは死ぬために前に向かう。生きるために・・・・ではない。刻一刻と終わりに近づくのが生まれた者の宿命。

 

家で産まれたハムスターたちは教えなくても皆そろって小松菜を食べたし、ヒマワリの剥き方を知っていた。食べられないものは皆がそっぽを向くし、衛生管理は教えなくてもできた。本能という知恵を地球が与えてくれている。

 

ニンゲンが倣わなくてはできないことが在るとしたなら本来備わっていた動物としての機能が退化したのかもしれない。それを自覚しておかなくてはならない。

ひとたび自分が賢いなどと勘違いしてしまうと、あまりにも哀れで滑稽だ。自分がこのような生物に生まれたことを受容し、失敗に対しては二度と繰り返さぬよう注意を払い、反省しながらまあよくやったと納得して死にたいものだ。

でも地球はきっと馬鹿じゃない。

癌細胞は自然治癒させるだろう、しないとしたら地球も死に向かってるだけのことなんだろう。残念ながら、自分が生まれた時点で、もはや人間の栄華は衰退していたのかもしれないけど此処に生まれたのだから仕方ない。

母と父の遺伝子でしか自分が存在しないのなら誰にも文句は言えない。親の否定は自分の存在否定だ。先祖が過去に喰って殺した生物すべてへの冒涜だ。否定する暇があったら、少しでもそれを良い方向に使うためにATPを使いたい。

 

でも結局、何を採用したとしても、自分が納得できれば人生はALL OK。

他者が何を採用しても創造しても、黙って見つめよう。自分は自分に徹しよう。

認めることは最低限の愛でもあり敬意だから。

 

 

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