映画

私にとっての書籍や映画は、創造者の意識との出会いである。

ライターがどのような想いをのせて描いているか。

本当に伝えたいことは何か。

目的は金か詐欺かメッセージか・・・・・・など。

なぜ『売る』必要があるのかなどを、自分なりに考えてみたりする。

内容とは真逆のライターの想いが渦巻いていることだってある。

 

今日、忘れそうになっていた感覚を思い出した。

聞いたこともない、俳優も知らない人ばかりの短い映画を観た。

そこには今の自分と同じことを考えている女性と、11年前の長男のような男性がいた。

 

2017年以来、次々に訪れる愛する存在の死と向き合い、私なりに死生観も確立してきたが、実際にはボロボロである。

だけど近しい人々は皆、私を不死身だと勘違いしている。

加えて幼少期からの疑問も一気に答え合わせが出来始め、あとは死後の世界だけという具合になり、なんら面白くもない展開に毎日うんざりしていた。

連続する大切な存在との別れと、この面白くないゲーム。

殻に閉じこもり続けた。

自分の世界をどう創造するかばかり考えていた。

もう大切な存在がいない世界を。

 

ただ・・・・・・今年も羽黒蜻蛉と出会い、雨の恵みにあやかり、川面の乱反射をまぶしく思いながら汗を流して往来する毎日は、静寂の中に在って平和で幸福だ。

恵みは豊かで穏やかである。

生まれた時から嫌悪してきたものが増大し、まだこれからも大切な存在の死を看取らなくてはならないのかと思うと、電子顕微鏡でも買って、どのように細胞が腐敗し原子と化していくのかでも見ていなければやってられない。

あの頃、被告にひとつもアデノシン三リン酸を使いたくなかった。嫌悪したから。

今の世界を嫌悪したから関与したくない。

だから、やっぱり自分のことに徹しようと思った。

そうすれば、必ず出会う事象がある。

事実、2017年に思い浮かんでノートに書いたことが現実になりつつある。

でもその先があるのだ。

小学生時からその先のイメージがある。

残念ながらニンゲンというものは生物の中で一番バカで、私もこうしてシナリオを描き誤ることがある。

命を100%燃やし尽くして死ぬには、やはり自分の最高の世界にエネルギーを注がなくては。

だから今日は少し休んで、明日から家族の冬物を編もうと思う。(笑)

自分のことは自分でできるようにしようと思ってここに来たのに、最近膨大な勉強量で畑と家事と父のところに様子を見に行くことでいっぱいいっぱいだった。

父を看てくれるデイサービスのスタッフさんたちに感謝。

ヘルパーさんにも感謝。

我が子に幸せの種をくれる関係者に感謝。

貨幣システムの犠牲になっている同居人に感謝。

死んで教えてくれた愛する存在すべてに感謝。

自己完結力をあとちょっと高めて、私は目的と目標を達成する。

今夜は過去にタイムスリップする。

 

これであの日に瞬時に帰ることができる。

 

真実は虚無 リアルはファンタジー

 

 

あなたも良いファンタジーを描いてください。

いつもありがとう。

 

 

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