大人と話すと楽です。
けれど大人は社会にそんなに多くはいないかもしれません。
誰かに流されたり、親に流されたり、夫や妻に流されたりなど、自分の脳で決めずに責任転嫁の種まきをして、逃げる準備をしているのは幼稚園児ならまだ許せましょう。
議論して最善策を見出すこととは似て非なるものですが、自分でやったことをもしも誰かに責任転嫁しているなら、たとえ80になっていても精神年齢が幼稚だと言えるでしょう。
となると小学生でも「大人」はいて、よくスピ系の人が言うように、魂年齢は外見とは関係ないのかもしれません。
確かに年齢で決めつける短絡的思考には合わせる余地もありません。
小学生でも尊敬すべき人間はたくさんいて、家族のために働く児童労働のただなかにいる世界の子たちやストリートチルドレンなどは、誰かにパラサイトしている先進国民の大人より悟っているかもしれません。
また、自分の力を弱者に対して搾取や支配に使えば「卑怯者」ですが、社会や世界のための創造に使えば「勇者」です。
同じ力であり、同じ「殺して喰った生命から得たエネルギー」で、使い方によって真逆になります。
何もできないならせめて自分のことは自分で責任を取り、システムから離脱しないのであれば、その交換券が何に使われているのかに納得できるように生きることも大事ではないかと思います。
幼児期は自分のことしか考えられず、10代で家族の事、20代で地域の事、30代では国の事、40代で世界の事を考えて、昔のように寿命は長くて50というところが適当なのかもしれません。
無責任が増え続けると、闇が出来上がります。
世界を創っているのは誰かではなく、自分自身なのでしょう。
真実は虚無リアルはファンタジー
万物に懺悔と感謝を
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