オーラがある。
オーラがちがう。
オーラが視えないはずの人々がそんな言葉をよく使いますよね。実際に視える人もいるようです。
残念ながら私には人のオーラは視えません。感じるイメージで捉えています。(これを視えるというのかも?)
そもそも「色」は光の反射で、対象がどんな波長かによって色が決まるので、視覚の高い人がオーラが視えるのは不思議なことではありません。
私が感じるオーラのイメージは光り輝くものから、真っ暗闇のものまで。
明るさと暗さみたいなもので捉えています。
同じ人でも、それは一定ではなく、光り輝くときもあれば、消えそうなともしびのような時もあります。
辛いことや良くないことが起こるときや続くときなどは、そのオーラのイメージが良くない時であるように思います。
疲弊しきっていて余裕のない場合はもちろん輝いていませんし、絶望している人は限りなく暗闇に近い感じです。
また、利己的なエネルギーは真っ赤な炎のようで。なにかに強く執着している人はグレーや茶色っぽいイメージです。
光り輝くオーラの人には、闇の物体か近づいてきたとしても、その物体そのものが光にのまれて見えなくなります。
だから光の人に闇の事象は起こりませんし、闇の人が近づくとその人の存在が光で目立たなくなってしまうのです。
反対に自分が落ち込んでいるときはオーラも暗くなっていて、闇の事象がやってきても消せないのです。光がないからそこにポンと闇の波長が引き寄せられそのような事象が表れてしまう、そんな感じなのです。
闇の事象とは、その人にとっての不幸です。
光の状態とはその人にとっての幸福です。
物をたくさん持っていても、暗闇の中にいる人もいるでしょうし、たくさん持たなくても光の中にいる人もいます。
一定ではないからこそ、その人の発する電気信号、つまり思考によってオーラは変化しているように感じます。
これらは、私が感じてきた個人的なイメージなので「〇〇がオーラだ」と教えている方などとは少し捉え方が違っているかもしれません。
感覚器も個々によって差異があるでしょうから、似て非なるものかもしれません。
オーラは時にとても強い盾になるように感じます。
バリアのようなものでしょうか。
徹底的に自分が光の中に住めば、闇の事象は限りなく縁遠くなるでしょう。
多分昼と夜のように、この虚無の世界にはどちらも混在しているのです。
私はよく、自分で自分の世界を創っていると書きますが、それはこれらと同義です。
混在する波長のどれを磁石のように自分に引きつけるのか、何をはね返すのかということで世界は創られると考えていて、それを時に人々はオーラと呼んだりしているのかもしれません。
先ずは自分がどんなものを発しているのか、そこがスタートです。
食べものの「嗜好」さえ「思考」と引き寄せ合っていると思います。そうして自分の心が身体に影響してくるのかもしれません。
今日も皆さんありがとう。
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