自分を見つめ直し、一旦整理し、地に足ついてまた歩き始めるきっかけのようなもの……
そういったものに気づけるような内容を、講演会でお話させていただいてます。
講演に参加された『その後』の報告をうけることがあるのですが、少し前に参加されたとある方から興味深いフィードバックをもらいました。
その方は、大勢の人を指導する立場にある人でした。
講演を聴き、拙著「奇跡は準備ができた者にだけ訪れる」を読んで、今まで自分が師から言われるがままに信じて疑わなかったものが、本当にそうなのかと考え直すきっかけになったと言うのです。
師の言葉が正しいと信じて大衆にお伝えされていたのでしょう。今回のことで、師の云うことを『正しいのだ』『そうであらねばならない』と思い込んでいたことに気づき、ご自身の世界観とのギャップを確認したり、融合をはかられるきっかけになったようなのです。この方、長から退かれました。
このことから、私もまた考えさせられました。
組織は『正しさ』をおしつける傾向にあり、人格に『優劣』をつけたがります。
人間はみな人間。同じです。
師の言葉は師のものであって、立場が上にある人がコピー&ペーストで伝言ゲームをすると、指導される側も自分で何も確認せずにそのまま誰かに伝えるような連鎖が起こります。
そして、なぜそれが良いのかすら答えられないロボットのような人を造るのです。入り口から出口までの道筋を話せない人は、理解していることにはなりません。
コピー&ペーストは出口だけ、もしくは入り口と出口だけしか話せません。途中の道筋を話せないのです。つまり、話している本人も理解していないということです。
子どもの言葉に大人が感動するのは、自らの言葉で話しているからです。誰かの言葉を話しているのではないからです。心がそこにきちんとあるのです。
そして、自ら考えて答えを導きだしている人は、なぜ?と問われれば道筋を答えられるはずなのです。その道筋をイメージして話す言葉が『言葉の重み』という感覚で人々が受けとるものです。
それはもちろん自分で責任をとるという覚悟さえ含んだ言葉です。
おし付けと教育は異なるものです。
おし付けられたことを、教えられたとは言いません。気づくことの方が重要です。気づかせることが本来の教育であってほしいのです。
支配欲を『人のため』という言葉に置き換える人が大勢います。
『世間体』にこだわり、誰も見ていないのに誰かが自分の人生を監視しているかのような錯覚を持つ人もいますが、誰も他人の人生など興味ありません。自意識過剰です。
人は自分で選択しています。誰かに従うということさえ。一つ一つを自分の頭で選択していることに気づいている人は、他者に責任転嫁など恥ずかしくてできません。依存もできなくなります。自立するしか道はなくなります。
そして、嘘をつく必要性もなくなるのです。それでやっと、自立のスタート地点に立てますね。
自分の思考を分解してみてください。たくさんの錯覚で出来ていることに気づくでしょう。(参考:MAHIRO思考)
思い込みを外し、自分を見極め受容し、どこをどう進化させたいのか整理して進むことで、グッと成長スピードは早まるのではないかと思うのです。
まずは、囚われている檻から出てみることです。
目的は自分の幸福と、共生する人々との平和な世界です。
数えきれない地球生命の恩恵を受けて、自分の身体が造られていることを忘れなければ、感謝などは学ばなくても、無理に唱えなくても、生まれたときから自然に自分に在るものです。
循環しているという記憶を失わずにいれば、万物に感謝するしかなくなるのです。
そして、思い込みを外せばこうなります。
思い込みを外す
↓
気づく
↓
視点が変わる
↓
視野の拡大によって想像力がアップする
↓
相手の立場にたって考えられる=思いやり
↓
自他承認できる=許す、認めることができる
↓
人間関係の円滑化
↓
人生の質が上がる
↓
幸福度が増す
今日も皆さんありがとう。
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