巷では安易に「継続」という言葉を使いますが、私はそう簡単に継続という言葉は使えませんでした。
言葉の概念の違い
かつて仕事をしていた20代の相手が、営業で全く成績が上がらず、すぐに辞めて行きました。
その時にこう言ったのです。
「継続しても出来なかったので時間の無駄だし辞めます。」
彼女が継続と言った期間はたった一か月でした。
一般的に皆さんはどのくらいの期間続けたことを継続とよんでらっしゃるのでしょう。
最低でも3年くらいでしょうか…。
酷い場合は、やると言い続けて相手の時間を奪いながらまったくやらない人もいます。
私はこれを詐欺師と呼んでいます(笑)
彼らにとって継続とはやってみようという短期的な思い付きのようなものです。
例えば、私の場合はこんな感じです。
お弁当は冷凍食品を使わずに30年以上家族に作りました。
植物は無農薬無化学肥料でずっと育てていて、一度も薬剤や化成肥料に頼ったことはありません。
家計簿は18歳から欠かさずつけていて、食べ過ぎないという食生活も10代から、日記を書くのも40年くらい(2011年からはSNSに書き込むようになりましたが)親業は30年以上、運動も自己流ですが30年以上、合成洗剤をやめてからも30年以上……
これらは一応、継続と言えるのではないかと思っています。
アロマとハーブの自然療法を試してからは20年ほどになり、これは自分の体感によるものだけでは非常に弱いので、家族友人などで試し続けた結果、やっと
「こういう時にこれがいいと思う」
と誰かに話せる程度にはなりましたが、ライセンスを取得していても生徒に言いきれるほど植物は簡単ではありません。
資格は机上の空論ではなく、実践したかどうかの体得の方が大切だと考えます。
責任と言う点で考えるなら、自分が実践した結果しか伝えられないはずなのです。
パッチワークは仕事としては15年、全国誌にも作品が掲載され大手手芸店で販売もされ、教室を閉鎖した後は家族のものやプレゼント用に作る程度ですが現在も時々製作します。
もう30年になるので、これも人に継続したと言えるレベルなのかなと思っていますが満足は出来ていません(笑)
ですから私にとっての継続という言葉は、数十年単位の話です。
10年はまだお試し期間で、20年で何かが見え、30年でも確信を持てることはそう多くはありません。
巷で「〇〇式」などを少しやってみたくらいで他人に勧めるビジネスなどが無責任に思えてならず、恐ろしいです。
やはり生きた年数や時間が必要なことがあるのではないかと思います。
ですから、自分よりある道において経験を積んでいる人の話には真摯に耳を傾けます。
たとえば夫婦についてなどは、一度目は10年で離婚、二度目は17年目で別れ、現在の夫とは数年なので、50年連れ添ったご夫婦の絆など、私には語ることも出来ません。
また、一つの仕事を何十年と続けてらっしゃるような方の意見も、経験を重んじ真摯に受け止めます。
こういった観点から、若者の意見は信用できないことがあります。
そうやって賢明な先人方は、私たち青二才の講釈を黙って聞いてくれていたのでしょう。
師の言葉は師のものである
現在は情報が安易に飛び交う時代です。
誰もがSNSで簡単に意見を述べられますが、その人が体得したものなのかどうかを基準に判断するようにしています。
人は自分が正しいと思ったことを正当化したがる傾向にあるものですが、それを確認するにはそう簡単ではない場合もあります。
いんぼ~論などもそうですね。
じっくりと時間をかけて、継続していく作業の中で見えてくるものがあるのです。
途上であったり、一度くらいの確認では、他人に道筋を説明できることは容易ではありません。
そういう観点からみると、若者の人生に対する意見は大抵、傲慢で「青い」ものになりますが、これは世の常、人の常なので、自分も通ってきた道です。
ですから職場の部下などで、安易に語る若者と謙虚な若者が要るとしたら話し方で分かります。
後者の方が責任感が強いのだと思います。
また、責任感は他者に対しての愛でもあり、後者は愛が深い方といえるでしょう。
それを自覚している方は、たとえ年齢が下でも信頼できる人だと感じています。
また年長者の方は、彼らの学びを奪わずに見守ることも愛の一つかもしれません。
情報が錯綜する現代、受ける側の姿勢も顧みなくてはいけません。
一歩退いて過去から未来まで見据えるような視点が重要です。
その意見の真意がどこからきているのか、目的は何なのかなど、言葉に乗るエネルギーの質や、源流を見ることも大切だと思います。
「継続は力なり」とよく言いますが、人間の一生など、地球からみれば刹那的です。
それを継続などと呼んでおこがましい限りですね。
でも継続していると、それを続けようと決めた過去の自分に助けられることがあります。
結局、自分を助けてくれるのは、自分だったりするのです。
無駄にはなりません。
今日も皆さんありがとう。
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