絡み合う

人生の中の一部を切り取り、それを「仕事」と呼んでみたりすることがある。

でも現実ではそれは単に命の一部を切り取った一定の時間内の生き方のことである。だから、仕事とプライベートはことばでは分けることができても、生き様の表れとしては本来分けることはできない。

ある病になった原因は〇〇だ、と、とかく一つの要因を人は見出したくなるものであるが、その身体ができる以前の卵子や精子、または臓器が造られる過程で母体から流れてきた栄養素や化学物質、内分泌ホルモン、温度、外に出てから育った環境、父母の混じり具合による遺伝的要素、ストレス耐性など、一つにしぼるほうが困難に思える。

 

言葉においても、たとえば私の覚悟という概念と隣人の覚悟という概念は多分違っているし、万人に通ずる最善の言葉を選択したとしても、他者と自分とのイメージが大きく異なる場合もある。

様々な事象が絡み合い「答えは一つ」と言えないのが答えなのではないか。

 

個々により世界観は異なり、一つとして同じものはないだろう。それを同じだと思いこむから心の糸が絡み合う。

自分よりお話創りがうまい人の言葉を、「なるほど」と人は唸ってしまうし、逆に自分の方がお話創りが上手ければ誰の言葉にも「なるほど」とは思えなかったりするものだ。

 

何かの答えを一つにしぼりたがる傾向は大多数の人に見られるし、なぜだか、人間は意味づけをしたくて仕方のない生き物のようだと、自分を顧みても感じている。

しかし、この人間優位論的な意味づけは、本来は無意味だということをしっかりと認識した上で、言葉遊びをしている自覚を持ってやらないと、無用な争いや妬みを産み、陳腐な支配欲や虚栄心を掻き立てることになってしまう。

 

真っ暗闇の中で、電気がショートするように、あちらでピカッと何かが一瞬光り、こちらでまたパチパチと火花が散るようなもの。

それが私が感じるこの世のイメージである。

つまりはエネルギー?電気信号?!

 

だから、年齢も立場もシステムも、人間が創ったものは自分には何も関係ないと思っていられる。

法律は自己制御がきかない人のためにあるのだろうし、国は人々の欲の強さを抑え込むための枠組みのようなものだ。

 

この絡み合った複雑怪奇な世界を、ごくシンプルに考えるなら、悲しみや辛さの感情よりも、生きている歓びに重きを置き、事実を淡々と受け容れて、死に絶えること。

これだけのことなのではないかと。

 

そう考えると、私達は壮大なゲームを生涯かけてする、大人げない生き物たちであるのかもしれない。

できれば自分はこの絡み合う糸のもつれからスッと引き抜かれ、灼熱の太陽の光でジュッと燃えて失くなりたいと願う。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

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