新緑が美しい季節が訪れると、心持ちも軽くなり、外に出る機会も増えます。
息子の引っ越しも終え、父も退院まであと僅かとなってきました。
予定していた私的なことは、家族のイベントで大きく変更されます。
勿論、それを無視して振り切れば「自分の予定」は何も変更されずに済むのだけれど。
うちの17匹のハムスターズの中で、最高齢となったリンにたびたび声をかけます。
長生きしてくれてありがとう……
ニンゲンもきっと、そう家族に声をかけてもらえれば嬉しいでしょう。
もしも自分が年老いてもまだこの世に生きてしまっているなら、せめてそう言われる老人でありたいです。
出会いの奇跡に求めるのはいつも愛です。
愛し合うことはニンゲンでなくても可能で、むしろニンゲンじゃない方が可能だと思えるこの国に、僅かばかりの切なさを覚えてしまいます。
父が半身麻痺となり病院に通う日々が続いてますが、自分の心の在り方や父の我儘な欲求や涙を、一つ一つ丁寧に心に落としていくのです。
心を見ないで作業に徹してしまうと、時は瞬時に流れ去り、その刹那の煌めきを見逃してしまいそうになります。
仕事も同様で、そこに対価を戴いても戴かなくても、ニーズに応えることが大切ですし、また愛がなければニーズに応えることはできないと考えています。仕事も自分の命の時間の『ある特定の範囲』であり、つまりはその人の命そのものです。公私を切り離すことはできません。だからこそ仕事にはその人の生き様が表れると思うのです。
生きているすべての時間を丁寧に扱うことは、自分の生涯を深く濃く重厚なものに仕立てていくことです。
たった一日しか共に過ごさなかった人や、年に一度しか会えない人でも、目と目で見つめ合うその瞬間は、愛をめいいっぱい出し切りたいものです。
私と会いたいと思ってくれる、もの好きな人もいて、その機会を愛の循環する時間として共有できたなら幸いです。
これらは同じく自分が今日血肉とした魚介類や植物にも持つべきもので、懸命に生きた彼らの命を自分の中でどう循環させていくのかきちんと考えながら時を大切にしたいと思います。
ハムスター同様、植物の声は聞こえないけれど、もっと彼らを心で感じて応えていけるニンゲンになりたいと思います。
とはいえ、都会の中のオアシスにホッとしている自分などそこからはまだまだ遠いのかもしれません。
小さな彼らとベランダのバラたちに多大なる叡智を授けてもらいました。
心に深く遺る時を刻むことができるよう、これからも丁寧な暮らしを心がけます。
今日も皆さんありがとう。
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