恋愛などでどちらかが相手に飽きて、いよいよ別れ話をもちだすときなどに……

行かないで、とすがってみたり

泣き喚いたり

怒鳴ったり殴ったり……

しないです。

生まれたときからスタンスはずっと同じで、心の扉はずっと開け放しにしてあるんですね。

扉の中に入るのも自由、出ていくのも自由、その人の意思をなるべく受け容れてきました。

だから、扉の外へ出ていこうとする人に、すがったり喚いたり殴ったりして、無理矢理手枷足枷をつけ中に置いておくようなことをすることはありません。

恋人でも夫婦でも知人でも友人でも、出ていきたい人には、「サヨナラ、お幸せに……」

無理に引き止めて居てもらっても、相手は嬉しくないし意味がないように思います。

どうでも良いのだと勘違いされることが多いのですが、決してその人と一緒にいたくないのではなく、相手を尊重しているからこそのサヨナラなのです。

一見、とても冷淡に見えますけれど。悲しみは自分の中で処理するということです。

出ていく人もいれば、入ってくる人もいます。それぞれ自分の人生を選択しようとしているとき、対話は出来てもコントロールは出来ないんですよね。

だから、苦手なのは天の邪鬼です。心と裏腹なことを言っておいて、それをこちらが受容すると当たります。あれは、決して大人がやることではありませんね。

ぐっとこらえて悲しみを受容しても、何度も同じことを繰り返す人には愛が感じられず、永遠にサヨナラすることがあります。

フランクルの言葉のように「それでも人生にイエスと言おう」と考えると、抱きしめてサヨナラすることはあっても引き止めることはやはり人生に抵抗することになるのでしょう。

ふとした出会いから長い付き合いになる人や、約束しても二度と訪れることの無い人もいて、そこに執着せずに「今」傍らにいる人たちを愛していきたいと思います。

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

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