随筆 202

富とは裸になっても持てるものである

これが私が子供の頃からの富に対する価値観です。
ニンゲンだけに限ったお話を信用することはできないので、この考えは生涯変わらないでしょう。
拙著にもHPにも書いてあるので、実際に自分が体現しないと無責任ですよね(笑)

なので、人間だけに限ったお話を信用している人が賢明に集めているものに興味がありません。それは地球時間の極一時的なもの。持続可能と宣いながらまったく持続的ではありません(笑)

そんなことに古代原始人から悠久の時を経て繋いできた命を使うとはあまりに感謝が無さ過ぎるような気がして。
命をつないでくれたのは、ホモ属だけでなく、昆虫、動植物、海洋生物、菌類、果ては空気や水までの万物であり、本当に宇宙があるなら宇宙も含みます。

なのに、人間だけに限ったお話を信用し、人間だけのことしか考えない先進国的な生活は、地球にとっての癌細胞みたいなもので、小学生時、都会の真ん中で「自分たちはがん細胞なのか?」と考えていたあの感覚は今も消えません。
地球も生きているので、万物同様、自然治癒力が働かないと自分が破滅します。ということは、そろそろ自然治癒力が働いて、癌細胞は消滅するのではないでしょうか。
地球がまだ生きていくなら、癌化している細胞を消すのは当然の話で、その消え方は人間同士の争いという可能性もあるのではないかと思ったりもします。
ニンゲン個人個人にしてみれば哀しく傷みがあることも、万物や地球にとってはプラスかもしれず、子供の頃から癌細胞にならないように努力してきましたが、未だに有害な物質を使用し、一部荷担する生き方を脱しておらず、地球と一体化する生き方にシフトできるよう死ぬまで努めたいと思っています。

幼少の頃に確立したアイデンティティーとポリシーが自分の生涯をこんなに左右するとは思いませんでした。
親の意見でもなく、他人の意見でもない自分の中から湧き出る価値観で生きたので、後悔なく、人間世界に未練もありません。
もはやあの頃の皮膚細胞も胃粘膜も骨も残っていないのに、いったいどこに自分が存在していたのか不思議です。

真実は虚無リアルはファンタジー

なのに、そのファンタジーの創り方が未だに三流で、所詮ニンゲンごときに何かをできることなどないのだと認めざるを得ません。

誰かの創ったお話に乗っかっていくのなら、自分を完全燃焼して逝く方が圧倒的に幸福かつ面白く、こうは見えても全力で今を楽しんで生きています。

しょうむない恐怖で足踏みしないよう、死に向かって残り少なくなっていく時間を何に使うのか吟味し、人間を終わりたいと思います。

大いにゲームを楽しみましょう。

万物に懺悔
地球よ治れ

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