時に、他者を小ばかにしたように頭の中の世界を例えて
「お前の頭はお花畑か?」
などと言う人がいる。
かつて流行した『天然ボケ』と同義語である。
けれども、例えば無知な人々が本当に心の底から『お花畑』のような思考を持っているなら、ぜひやめないでいただきたい。
それはバカにしているのではなくて、思考の現実化を読み解くなら、本当にお花畑の様な世界が出来上がるかもしれないからだ。
無知ではない人が『お花畑』の世界を本気で創造するには、類まれなる精神力や天才的思考が必要になると思われる。
どう考えてもネガティブな予想しか出来ないのに、ポジティブな未来を創造するには逆転のそれまた逆転の、さらなる逆転のような発想が必要になるからだ。
加えて細部に至るまで検証し、過去の全く異なる事象のあらゆるパターンを読み解き、新しいお話を創造しなくてはならない。
もしくは一足飛びに結果を出す天才の直感による答えのような。
それも過去の直感でどれ一つ外れたことが無いような天才でないとあてにはならない。
なかなか困難を極める道程である。
だからこそ、心底お花畑の様な思考を持つ人を、大切にしなければいけない。
一朝一夕に理解できるものではないような経験的積み重ねが必要な智慧や知識を、自分が優位に立ちたいだけで教えてはいけない。
自分がもし他者の創ったネガティブなお話を信用して動いてしまっているとしたら、リスク管理をしている人ほど迷惑な人間になる可能性が高まるのである。
地球が産み出した生き物に優劣はなく、ニンゲンの才能は誰かの決めた数値による価値では測れないとしたら、お花畑のような思考も才能なのだ。
だからといって何もせずに家族を路頭に迷わせるのも、このシステム社会の中ではどうかとも思うだろう。
ネガティブな未来予想図の中に僅かでも希望を持てるなら、ずっと望んでいたことをこの機会に合わせてやってしまおうと考えてみるのもいい。
サバイバルを楽しむとか、パーマカルチャーに移行するとか、自給自足やってみるとか、途上国に行くとか、大好きな人に結婚しようって言ってみるとか(笑)
それがついでにリスク管理にもなれば一石二鳥で面白い。
万一、お花畑にならなかった場合は、リスク管理となり有益な結果を生む。
お花畑が現実のものとなった時は、その中で自分は後悔のない生き方を構築出来ていることになる。
多くの意識が集まれば、エネルギー値が高まるように思う。
でもそれは、心の中で思うだけでも充分に効果を発してるのかもしれない。
『とも祈り』という言葉がある。
人の幸せは嬉しいものであって人の不幸は哀しいものである
自分が幸せでなくても、他者を嫉まず皆が幸せでいる世界を願っていたなら
自分から出す波長は光のようになり同調する存在と巡り合え
その個人の世界は幸福になる
そう思う。
まずはどんな思いに同調するか、自分の胸に手を当てて聴いてみれば嘘はつけないはず。
今日も皆さんありがとう。
万物に幸あれ。
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