命の種

世界は種でいっぱいだ。

あなたの中にもたくさんの種がある。

人間の目には視えなくても、空気の中に、川の流れに、足元の土に、部屋の隅にもある。

 

そのくらい、世界は命で溢れている。

卵子も精子も命の種。

部屋の隅のホコリには菌類の山。

土の中にはもう数えきれないくらいの命。

雑草の種も虫の卵も全く見つけられない。

畑仕事をした後の爪の中には、そういった命の種がたくさん入ってるのかもしれない。

 

食事だけでなく、水や土や空気などと一緒にきっとそんな命の種を食べている。

善い菌も悪い菌も多分選べない。

大好きな人の手を握ったり、キスをしたら菌の交換会をしているようなものだ。

 

そうやって目に見えない世界を想像すると、目に見えるものだけで判断することや、自分が自分で生きているということさえ、すべて思い込みの世界だと気づく。

腸内細菌は確かに自分の中にあるだろうけど、彼らは自分とは意識が一致せずに生きている。

掌の菌類は自分の意識とは別に増えたり死んだりしている。

有機野菜とスーパーで山積みされている野菜についている菌類は同じではないだろう。

口にする水は、何処の水かによって成分が違っているのではないか。

変若水の様な水があっても不思議ではない。

 

私たちがたくさんの命と共生して『自分』を造っているように、地球も沢山の命で出来ている。

昆虫や鳥類、肉食獣、菌類、藻類など、あらゆる命が地球を生かしている。

本当に地球から生命が生まれたのなら、地球は受精卵の様なもの。

分化して心臓になったり、神経細胞になったり、骨になったりしているように、ニンゲンや海洋生物、昆虫を産み出したりしたのだろうか。

絶滅する種は、28日周期で死んでいく皮膚細胞のようなもの?

ケガをすると出血するのは、火山の噴火のようなもの?

 

地球自体が生きている。

命の種を産み出し続ける。

うちの西瓜だって、一粒の種からこんなにたくさん種を産み出した。

 

命に囲まれて生きていることを忘れてしまうほどに、人は別の何かを視ている。

 

生命はやはり美しい。

世界は美しいもので溢れている。

そういう小さな命に感動して感謝して、自分が生きている不思議と遊びたい。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

Pocket

0 comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です