本意でなくても、自由を選択するときには誰かを悲しませることがあります。
それが利他的な行為であっても利己的な行為であっても、自分が選択した道で誰かが泣いた事実は動かしようがないのです。
個の幸福が確立したようでいて、本来は皆が笑っていなければ手放しでは喜べないものなのです。
自由には覚悟と責任が伴います。
泣いた人が納得できるくらいに、その選択した道の責任を果たさなければ、結局真の自由など手に入らないのだと思います。
責任感とは他者に対する愛である
涙を流した人々に対して、個が目指したものを諦めないこと、それが成せたときに自分自身も『満足』や『達成感』というものを手に入れることになるのでしょう。
とはいえ、志半ばにしてこの世から消える者も在って、たとえ目標地点に達しなくても、その方向へ向かう『意識』が大切なのだと思います。
この虚無の世界で無意味にも見えるその『意識』
つまりは、目に見えぬ人々や生物たちの想いを包括し、万物の幸福を願わなければ、真の意味での自由や至福が手に入ることはないと思うのです。
結局何を選択しても、責任はつきまとい、真の自由を手に入れる人は、この世界から消えるとき、なのかもしれません。
今日も皆さんありがとう。
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