村八分に始まり、子供のいじめ、果ては何十年も生きているおばさんが若い教師に幼稚な犯罪をおかすなど、セクハラ、パワハラ、モラハラと、日本はハラスメント大国ですね。
サービス業などにおいては、些細なことで店員にクレームをつける大人たちも多くいます。スタッフは落ち着く暇もなく緊張状態の中で仕事をしたりしていて、同情するばかりです。
ハラスメントに走ったり、個人を批判する人々をよく観察してみてください。大抵「セルフコントロール」のできない人です。つまり自立できない人々が、目の前の、決して報復しないであろう人に、個人、または集団で「故意」に日頃の自分の憂さを晴らす、頭の良いはずのホモ・サピエンスとは考えにくい行為です。
社内などで大多数が傍観者だということは、大多数が荷担者ということです。村八分もそうですし、いじめもそうですし、陰口も、人の不幸を好きな人も全部そうです。でもターゲット以外の人には善人仮面を被って平気で「綺麗事」を話します。自分で自分の考えが綺麗でないと自覚していると、よくない考えを持っていると自覚し、正直に話せば群れから排除されるともわかっているからこそ「故意」に「綺麗」な言葉に置き換えなければならないのです。綺麗事を話す人は、自分で悪意があると公言している摩訶不思議な人です。もし、自己正当化したいなら他者の人生を邪魔するのではなく、満足できるように自分の人生にエネルギーを使うことが建設的だと思われます。
案外人間は嘘はつけないものです。ニンゲンは嘘つきなようでいて、なかなかうまくは嘘はつけていないのです。
自分が正当化される意見に「いいね」を押し、応援もします。そうでないものを応援したりはしません。排除の気持ちが働くからです。
本来この世には、正誤はないし優劣はない、善悪もないし、あるのは個人的な好き嫌いくらいです。
共感できる価値観は自分の中にある価値観です。そういう人が仲間です。ハラスメント仲間になるのは避けたいものですね。
明日死ぬかもしれません。
本当に納得できる生き方を、現実逃避せずに選択していきたいと思います。
今日も皆さんありがとう。
FIJIにて
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